●在日米軍再編の「中間報告」

条約改定のない日米安保の変質

−没主体的に継承した「脱亜入欧」の帰結−

(インターナショナル第161号:2005年12月発行)


▼国内に背を向けた合意

 10月29日、ワシントンで開催された日米安全保障協議委員会(2プラス2)は在日米軍の再編に関する「中間報告」を発表し、来年3月までにはその「最終報告」をまとめ、あわせて在日米軍再編の実施計画を決めることで合意した。
 その主な内容は、@神奈川県のキャンプ座間に米陸軍統合作戦司令部と陸上自衛隊中央即応集団司令部を設置する、A東京都の米軍横田基地内に航空自衛隊航空総隊司令部を移転し、弾道ミサイル防衛に関する日米の共同統合運用調整所を設置する、B米軍厚木基地の艦載機約60機を山口県の岩国基地に移動する、C沖縄県の普天間基地を同県内のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設し、在沖海兵隊7千人を削減するなどだが、関連自治体は強く反発した。
 なによりも「中間報告」は、関係自治体の意向も盛り込んで「最終報告」になるといったニュアンスにもかかわらず、29日に発表された日米政府間合意は事実上の最終合意であり、たとえ変更があっても微調整の域を越えないことは米政府と米軍関係者の発言などから明らかだからである。
 それは「米軍の機密に配慮する」として多くの情報が秘匿されて交渉が進み、事前には打診すらない政府間合意が一方的に関係自治体に通告され、来年3月には「実施計画を決める」という既成事実を押し付けようとする日本政府・防衛庁に対する不信と反感の現れであった。
 ではこうまでして、あえて言えば国内の地方行政府に背を向けてまで米軍再編に協力する小泉政権の対応は、この国の将来にとってどんな意味を持つのだろうか。
 まずはこの点から在日米軍の再編問題を考えてみることにしたい。

▼駐留軍から遠征軍へ

 東西両陣営が国境を挟んで対峙する冷戦時代の「駐留軍」を、「テロとの戦争」に象徴される世界規模の不安定化に即応する「遠征軍」に再編する。これがブッシュ政権が推進する米軍再編であり、在日米軍の再編はもちろんその一環である。
 こうした米軍再編の骨格は、9・11テロ直後の01年9月30日に出されたQDR(4年毎の国防計画見直し)報告書で示されたが、その基本的性格は地域担当統合軍を中心とした従来の兵力配置を、機能別の統合軍を軸とした配置に転換することにある。
 米軍には現在太平洋軍、欧州軍、中央軍、南方軍、そして9・11テロ後に編成された米本土防衛に特化した北方軍という地域別に責任を持つ5つの統合軍があるが、これとは別に機能別に4つの統合軍がある。陸、海、空、海兵隊を統合指揮する「統合兵力軍」、テロやゲリラ戦に対処する「特殊作戦軍」、世界に展開する米軍への補給と兵站を担当する「輸送軍」、陸海空の核戦力を担当する「戦略軍」がそれである。この4つの機能別統合軍のうち特殊作戦軍と輸送軍そして戦略軍を優先的に再編強化し、世界中どこへでも、そしていつでも迅速に部隊を派遣し、短期間で敵を殲滅できる米軍へと変革することが今回の再編の眼目である。
 具体的には世界各地にいくつかの「ハブ基地」(主要作戦基地)を置き、次のレベルとしてローテーションの作戦部隊を配置した「前進作戦基地」を持ち、さらに次のレベルとして一時使用できる「安保協力地点」を持つことでこうした展開を可能にしようとしているという(『合衆国の国防戦略』)。
 したがって在日米軍の再編とは、ソ連と中国を封じ込める、その限りで「日本を共産主義の脅威から防衛する」という日米安保条約に規定された駐留米軍の任務を根本的に変更し、「不安定の孤」と呼ばれる中央アジアから中東におよぶ広大な地域と、台湾海峡や南太平洋諸島を含む太平洋全域の政情不安や地域紛争に対処する遠征軍の主要作戦基地を日本に設置することなのである。
 これを最もよく象徴するのが、米国ワシントン州にある米陸軍第一軍団司令部を改編した「米陸軍統合作戦司令部」を、キャンプ座間に移転することである。だがより重要なことは、この統合作戦司令部の「日本進出」に合わせて、米軍の機能別統合軍に似た中央即応集団司令部を陸上自衛隊に新設し、キャンプ座間で同居する合意である。
 自衛隊は事実上、「遠征軍」を指揮する米軍統合作戦司令部に組み込まれる。

▼安保のなし崩し的変質

 こうした在日米軍の、「再編」とは呼べない抜本的転換は、日米安保条約の性格を根本的に変化させるものである。
 なぜなら在日米軍は「日本防衛」という安保条約上の建前を完全に払拭し、新たな国際戦略にもとづいて米軍を世界規模で統合運用する「東洋の作戦拠点」へと変化するからであり、本来であれば日米安保条約の抜本的な改定交渉を行うか、新たな軍事同盟の締結さえ必要となる再編だからである。
 例えばキャンプ座間に置かれた米陸軍統合作戦司令部が何らかの作戦計画を立案して実施する場合、それが世界中のどこであれ、自衛隊はその作戦軍の運用と指揮に必要な情報を米軍と共有して作戦の一翼を担い、日本に在る米軍司令部機能を自ら維持・防衛し、必要とあれば輸送軍の一部を肩代わりするだろうことは容易に想像できる。
 これは事実上、米軍と自衛隊の合同作戦遂行機能の確立であり、イラクへの自衛隊派兵が既成事実化した日米の軍事的連携をモデルにしたものと言えよう。
 かくして、「日米同盟」なるアメリカ追従路線を日本外交の中軸だと主張してきた小泉政権は、歴代自民党政権が「安保再定義」や「極東条項の拡大」などで示した曖昧な対応を踏襲して安保条約の改定なき変更を受け入れたのであり、その対極には、在日米軍の変質を覆い隠すように秘密主義に貫かれた日米協議があったのである。それは関係自治体を蚊帳の外においた作業の進め方をめぐって、大野防衛庁長官と対立した山中昭栄・前防衛施設庁長官の更迭というおまけまで付く徹底ぶりであった。
 それでも小泉は、歴代自民党政権とは違う「新たな日米同盟」の再構築をなし得た訳ではない。ただ彼は、戦後保守勢力が親米路線を重視しつつも日本の地政学的位置のために不可欠と考えたアジア諸国との友好関係を徹底的に軽視することで、戦後日本の外交バランスを「なし崩し」にしたのである。
 だがこうして小泉は、世界の一元的支配をめざすアメリカの国際戦略との一体化を推進し、それが日本にもたらすリスク(危険度)を考慮しない「変人」であることをまたもや証明したのだ。

▼戦後日本の外交と占領政策

 ところで米軍再編「中間報告」を報じたマスコミの多くは、「米軍と自衛隊の融合が進んだ」とは評しても「日米安保の変質」を指摘はしなかった。
 小泉の「なし崩し」がなぜ通用しつづけるのかを証明するような「報道の質の低下」を象徴する事態だが、こうした今日の日本を覆う精神構造−近視眼的で没主体的なメンタリティーの基盤は、戦後日本の保守と革新とを貫く戦略的破綻の反映と言うことができると思う。どういうことか。
 戦後日本の保守・革新両勢力の国際戦略は、実はともに1945年から51年までのアメリカの占領政策を基盤に成立した。
 「非武装中立」という戦後革新の国際戦略は、日本を無力な小国に再編しようと試みたアメリカの「前期占領政策」に依拠していたし、「軽武装と経済復興」として始まった戦後保守勢力の国際戦略は、朝鮮戦争を契機に日本の再軍備を求めた「後期占領政策」に依拠していた。前者は将来の日本を「東洋のスイス」として展望し、後者はアジアへの介入を強めるアメリカの意に添って「反共の砦」を自認し、反共政権への経済援助とその経済開発を牽引する「アジアの経済大国」へと邁進したのである。
 つまり敗戦で破滅した大日本帝国の国家的アイデンティティーに代わる新たなアイデンティティーは、アメリカの国際戦略に全面的に依拠して再構築されたのだが、それは一握りの「A級戦犯」に戦争責任を押しつける無責任な戦後処理と、その結果である社会的規範の崩壊をごまかす曖昧さをともなって没主体的に選択された。敗戦以前の「鬼畜米英」が一夜にして「アメリカ民主主義賛美」に変わり、「皇軍による聖戦」は何の総括もないまま「悲惨な戦禍」にすり替えられ、神聖天皇制は戦争責任を問われることなく象徴天皇制に衣替えしたことに、その無責任と没主体性が象徴されている。
 だが戦後革新の「非武装中立」も、朝鮮戦争特需を契機に本格的な経済復興がはじまるのと軌を一にして、「非武装」は条文護憲へと矮小化され、「中立」は冷戦という国際関係から日本だけを切り離す「局外中立」という願望に転落し、積極的な国家目標や理念としては劣化しつづけてきた。
 かくして、冷戦が終焉しグローバリゼーションの波が押し寄せてきた今、日本の保革両勢力は共にこの戦後の没主体性と曖昧さのゆえに、国際戦略を主体的に構想することができなくなっていると言って過言ではない。ただ保守勢力の側は、覇権国家アメリカが存在するおかげで、アメリカ追随を「国際戦略の代替品」にできるに過ぎない。
 だがこの代替品は、国連安保理の常任理事国入りという目標を達成できなかったことで暴露されたように、世界各国の厳しい評価に直面しつつある。日米の戦略的一体化が深化すればするほど日本は単なるアメリカの代理店に転落し、世界各国は「日本抜き」でアメリカとの直接交渉を望むようになるのは必然的である。それは客観的には日本の「国際的孤立」の危機なのである。
 ところが当の日本では、こうしたリスクは自覚もされないように見える。社会的論争も国会での論戦も現れることなく、なし崩し的に在日米軍と自衛隊の一体化が推進される危機的現状は、戦後日本社会に染みついた没主体性の深刻さを暴き出す。
 こうして日本の保守勢力は、大日本帝国の歴史的破産をなぞるかのように、国際的孤立というリスクに目を塞いで「変人首相」の日米同盟強化路線に追従し、衰退する革新勢力もまた「条文護憲」と「局外中立」に固執して、国際社会の課題に応える「経済援助大国」(本紙149号)のような積極的な対案を提示できないでいる。

▼問われる「脱亜入欧」からの脱却

 だが日本の国際的孤立は、ますます現実味を帯びはじめている。不安定化する世界を一元的に管理・統制するアメリカの覇権を強化しようとするブッシュ政権の展望に対して、地域的な多元主義に立った相互依存を基盤にして、地域共同体の形成に向かう動きが顕著になっているからである。
 前者つまりブッシュ政権の展望がアフガンとイラクにおいて重大な困難に直面しはじめている一方で、南米やアジアでも後者、つまり地域共同体の形成を模索する動きが強まっている。05年4月の米州機構(OAS)の事務総長選挙では、ブラジル、ベネズエラ、アルゼンチンなど南米の主要国が推すインスルサ氏(元アジェンダ政権顧問)が多数の支持を得たことで、アメリカが推すフローレンス氏(前エルサルバドル大統領)の立候補はライス国務長官によって取り下げられる事態となり、アメリカから自立的なOAS姿を現しつつあるし、11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)でも、地域共同体形成に向けた意欲が改めて表明された。
 そのAPECで明らかになったのは、戦後日本の外交的破綻を克服する核心的課題が対アジア外交の再構築にあり、とりわけ革新勢力つまり変革主体の側は、「局外中立」の名目で事実上はアジア諸国が直面する矛盾や困難には関心を示す事なく、せいぜいアジア諸国の「社会主義政党」との友好に国際戦略を切り縮めてきた現実をどう克服するかを突き付けられていると言える。
 だがこの課題は、それほど容易なことではない。なぜなら今日の変革主体は、アジアの地域共同体が大東亜共栄圏の悪夢と二重写しになる「戦後革新のトラウマ」に立ち向かわなければならないからであり、それは結局のところ1945年の敗戦後も払拭されず継承された「アジア蔑視」という、日本社会の精神構造を克服することだからである。
 日本社会に深く染み付いたアジア蔑視の精神構造は、今でもアジア民衆の反日感情を再生産する大きな要因のひとつである。それは現在でも繰り返し、経済援助に関する日本政府の傲慢さやアジア進出日系企業の身勝手な振る舞いとして現れ、反日感情の火に油を注いでいるのであり、このアジア蔑視からの脱却なしには、域内諸国の対等で互恵的な地域共同体の中で日本が積極的な役割を果たせないのも明らかである。
 そして近代日本が連綿と受け継いできたアジア蔑視の根っこに、「脱亜入欧」という思想がある。

 欧米帝国主義列強によって次々と植民地にされる「遅れたアジア」を脱し、列強の居並ぶ「進んだ欧米」に入るというこの思想の核心は、1945年の敗戦までは欧米列強との軍拡競争として現れ戦後は欧米との貿易競争に姿を変えて現れたが、常に「欧米に追いつき追い越せ」という国民的目標として近代日本社会に根付いてきたのである。
 しかも戦後は、大東亜共栄圏の破産を無責任に清算したことで「遅れたアジア」への無関心が助長され、むしろアジアの実情を無視する固定観念として定着したとさえ言えるかもしれない。
 なし崩しに進む日米の軍事的融合は、その意味で近代日本の全面的な捉えなおしを変革主体に問うのである。

(12/20:きうち・たかし)


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