【郵政4・28裁判-高裁で勝利判決】

国際動向にらむ司法の意図と判決がはらむ可能性について

(インターナショナル148号:2004年9月号掲載)


 まず冒頭、1979年の郵政省(当時)による58人の免職者を含む8183人への処分を不当と考え、25年間闘ってきた7人の原告、その闘いを支えてきた郵政ユニオン、4・28ネットワークを始めとする多くの支援者の奮闘に対して、私たちは心からの敬意を表明すると共に、勝利を共に喜びたいと思う。
 6月30日に東京高等裁判所の江見弘武裁判長が、郵政4・28処分の取消し・無効を骨子とする原告勝利の逆転判決を言い渡してから3ヶ月が過ぎた。この過程で郵政公社は判決を不服として最高裁に上告受理の申立てを行い、局面はいよいよ最高裁闘争に突入した。本稿では高裁判決の意義と背景を明らかにすると共に、勝利の道筋について私たちのささやかな「提言」を試みたい。

▼判決の特徴と原告を取りまく諸条件

 江見裁判長は判決の冒頭部分で、1978年12月から1979年1月にかけて闘われた全逓(現JPU)による「反マル生越年闘争」は「公労法により争議行為が禁止されている」以上、処分は当然であるとして、判決の性格が反マル生の争議行為の是非を審査するものではないと明確に規定した。
 その上で判決では、争議行為の責めは「全逓及びその意思決定に関わった者が第一次的に……負うべきで、全逓の意思決定に参加する地位にはないが、これに従った組合員は、……本件闘争の実施の意思決定についてはもとより、本件闘争による郵便事業の混乱が大規模に及んだことについては、懲戒を受けるべき理由はない」として、責任の所在を明確にさせている。
 さらに判決は懲戒処分の範囲に踏み込んで次のように述べる。「本件闘争は郵便事業の大規模な阻害という重大な事業秩序違反があるにもかかわらず、いわば本件闘争の首謀者として、……公労法に基づく解雇又は国家公務員法に基づく懲戒免職を受けた労働組合の地区本部以上の組織の役職者が異常に少ない。(しかも、懲戒免職処分を受けた)55名もの多数の者が、大半は、地方本部、地区本部又は支部はもとより、分会の役員でもなく、本件争議の実施についての全逓の意思決定に参画したといい難いにもかかわらず、最も過酷な懲戒免職とされた。」
 したがって結論として判決は「(原告への)懲戒免職は、……考慮すべき事実を考慮せず、社会通念に照らして著しく不合理な結果をもたらし、裁量権の行使を誤った重大明白な瑕疵があり、取消しを免れず、また、無効というべきである」と、処分の取消しと無効を言い渡したのである。
 今回の東京高裁判決は、その判決内容の特徴として@反マル生の争議行為は違法であると明言した上で、A争議行為の責任範囲の違いを組合の役職者と一般組合員に区分けし、B原告には争議責任がないから処分無効――とした点にある。
 通常の労働裁判で問題となるのは、70年代に執拗に繰り返された全逓の組合破壊である郵政マル生攻撃が労働組合否認の不当労働行為に当たるのか否かであり、不当労働行為を裁判所が是認すれば「処分無効・原職復帰」の判決となる――これが従来の常識的な労働裁判のあり方である。
 現に国労は1047人のJR採用差別問題で、採用差別が労働組合否認の不当労働行為にあたるとして最高裁まで争ったが、国鉄改革法23条が規定している「旧国鉄とJRは別法人」の壁を破ることができず、「JRに不当労働行為がなかったのだから、採用差別に当たらない」として敗訴となったことは記憶に新しい。
 しかも今回の判決を出した東京高裁の江見弘武裁判長は、1986年に国会で成立した国鉄改革法制定に司法の側から参画したプロジェクトメンバーの一人なのであり、改革法23条の生みの親なのである。
 このように見てくると、今回の東京高裁判決が従来の不当労働行為違反を認定した「勝利判決」ではなくて、懲戒免職となった原告には「争議責任がない」から「懲戒解雇は不当である」とする「個人の人権救済」的側面が強くにじみ出た「勝利判決」という側面が浮かび上がってくる。一言で言えば、集団的労使関係の相対化と個別的労使関係での個人の救済というイギリスやドイツで見られる労働裁判制度を念頭においた判決ではないかという問題である。
 ここで考慮しなければならないのは、郵政4・28処分が示す“郵政一家”という前近代的な日本的労使関係という特殊性である。全逓右派官僚は郵政マル生攻撃が最盛期を向かえた1978年当時、労使癒着体制へ路線転換する必要性に迫られていた。しかし、当時の全逓は“権利の全逓”の伝統を引き継ぐ現場の力が強力であり、迫られている“路線転換”と“現場の力”の間には大きな乖離が存在していたのである。
 労使癒着体制への路線転換は、1970年代に起きた“二つのショック”、オイルショックとニクソンショックによって高度経済成長に行き詰まった日本の支配層が、後の用語であるグローバリゼーションに向けた国家・社会再編に着手することを求めて行われた。高度経済成長に見合う国内秩序、すなわち「55年体制」を打破するために、その最も弱い環である社会党・総評ブロックの解体が最初の俎上に上がったのである。
 総評の解体のためにはその中軸をなした国労を中心とする公労協攻撃が最重要課題であり、そのためにまず全逓の現場活動家への処分による戦闘力の解体、続いて国鉄の分割・民営化攻撃が意図されていた。これらの攻撃を準備していた支配層は、当然のことながらそれに呼応する勢力を全逓や国労の内部に育成していた。
 全逓中央は78年末から79年初頭の“年賀を飛ばす”空前の闘いを展開することで、その攻撃を跳ね返そうとしたが、予想をはるかに上回る4・28の大量処分で完全に腰砕けになった。79年秋から労使癒着路線へ急速にカーブを切り、1991年には4・28免職者を切り捨てた。そこには企業内労働組合に純化し、“労使癒着”に突き進む前近代的な“郵政一家”構造が露骨に顔を出しているのである。
 こうした状況下で、4・28免職者をはじめとする郵政労働者は長期にわたる苦闘を強いられることになった。4・28免職者は全逓による91年のだまし討ち的切捨てで、全逓組織から完全に独立して独自に裁判闘争を開始せざるを得ない状況におかれた。また、労使癒着路線を突き進む全逓に対して普通の郵政労働者が“権利の全逓”の歴史的連続性を引き継ごうとするならば、独立組合を選択する以外に道はなかった。
 したがってこのような条件下で展開された4・28反処分闘争は、原告7名の不屈の闘争意思や創意・工夫に満ちた手作りの運動というプラスの側面はあったにせよ、同時期に闘われている国鉄闘争と比較してその支援体制が強力であるとは言いがたい側面を有していた。
 しかも日本の労使関係は、グローバリゼーションの名のもとで大幅に改悪された労働法制の結果、労働基本権が否認された不当・無法状況が常態化している。その上、このような事態に対して、大枠において抵抗できない労働組合の弱体化が不当・無法に拍車をかけるという戦後最悪の労働環境にある。

▼国際的圧力と国内的要因

 このように主体的にも客観的にも勝利を展望することがほとんど不可能と思われる状況下で、なぜ東京高裁の勝利判決は出されたのであろうか。
 先に述べた今回の判決の特徴と主体的・客観的な条件の二つを検討しながら、そのポイントを探り出すことが、最高裁闘争に勝利するためには重要だと考えるのである。
 まず、江見判決が持つ意味を、国際的な視点から検討してみる。1980年代に入って以降、資本の側はグローバル化を急速に進めたが、労働側も規模がはるかに小さいとはいえグローバル化に対応してきた。先鞭をつけたのが女性たちの男女差別賃金に関するILO提訴である。住友や兼松、芝信用金庫などの男女賃金差別問題に関する裁判とILO提訴は、国際的な労働基準からみた日本の労使関係の前近代性を明るみに出し、またそうした労使関係を是認する日本の司法の前近代性をも串刺し的に暴き出したのである。
 この女性たちの闘いに続いたのが、国労によるILO提訴である。2001年に出された採用差別問題に関するILO勧告は、「4党合意」の枠組みを利用した解決という内容であったが、その前提となるILOの認識は改革法23条が国際的な労働基準から見ても問題があるというものであったと推測できるのである。なぜなら、その前年に来日して解決に向けて精力的に工作したITF(国際運輸労連)のコックロフト書記長の言動が、その根拠を示唆しているからである。
 さらに国労に続いてフィリピントヨタ労組がILOに提訴した。フィリピントヨタ労組の場合は日本国内の問題ではないが、日本を代表する多国籍企業であるトヨタの労働組合認識が国際的労働基準に照らし合わせて明確な違反であるという点からの提訴であった。そしてILOはフィリピントヨタ労組にきわめて有利な勧告を出したのである。
 このように国際的な労働基準との比較において、日本の労使関係の「非常識」が次々と暴露され、それを是認する裁判所の「非常識」も明るみに出される事態が続いたのである。とくに国労に関するILO勧告には「日本の司法判断を注視する」という文言が入っていたことに注意を払う必要がある。
 江見裁判長にとって自らが手を下した国鉄改革法に基づく1047人の解雇についてもこれだけの国際的労働基準の圧力にさらされているのに、そうした法的根拠もなく露骨な労使癒着の前近代的な“郵政一家”構造から出された4・28処分は一刻も早く決着をつけなければならない存在だったのではないだろうか。
 このように見てくるならば、今回の江見判決が国際的労働基準という圧力から無縁であったとは考えにくい。日本の司法の前近代性を指摘する国際的労働基準の圧力をかわし、「集団的労使関係の相対化と個別的労使関係での個人の救済」というイギリスやドイツで見られる労働裁判制度を念頭においた判決を出すことによって、司法の危機の芽を摘むという判断が働いていたと見ることも不可能ではない。
 次に江見判決が出された国内的根拠について触れたい。これに関しては、全動労争議団などの徹底した江見裁判長批判や、勝ちに奢る郵政省(当時)が裁判で指導責任問題での反論をいっさい「拒否」したことに対する江見裁判長の反発など、様々な要因を想定することができる。
 だが、最も注目しなければならないのは、江見判決が4・28処分の本質である労働組合否認のマル生攻撃を是認し、それに対する闘争を不法であると改めて宣言した点にある。その上で、個別的労使関係に関しては人権の側面から救済する道筋を明らかにしたのである。集団的労使関係の否認と個別的労使関係の是認―今日の日本における労使関係の力量からするならば、やむを得ない現実と言うべきなのかもしれない。
 しかも今日の日本の雇用環境悪化が「個別的労使紛争」を急増させている現実を見るならば、個別的労使関係に関する何らかの司法判断を下す必要性に迫られていることは明らかであり、江見判決にはそのような含意が含まれていたと類推することもできるのである。

▼勝利判決がはらむ意義

 だが言い方を変えるならば、今回の東京高裁判決の最大の成果は、国内的にはまったく勝利の展望が見出せない不利な条件下であっても、個人を軸とする争議団としての抵抗が国際的労働基準と結びついて持続されたとき、それは人権闘争として勝利の可能性を導き出すということなのである。連合を中心とする既存の労働組合勢力が基本的労働権の防衛という点でまったく有効性をもたない状況が誰の目にも明らかになった現在、個人の自立を基礎にした争議団が国際的労働基準に依拠して「人権」をキーワードとする闘いを繰り広げるとき、それは社会的支持基盤を確立することを可能にするし、連合を含めた既存の労働組合の中にさえ支持者を見出すことになるだろう。
なぜなら、「人権」や国際労働基準をめぐって日本の支配層の中に分岐が生じている気配が見え始めているからであり、この分岐は連合内に直接波及すると考えるべきだからである。そのためには郵政公社の労務管理におけるトヨタ方式導入を批判するILOや国連を含めた国際世論の形成や、それと結合した4・28反処分闘争の国際化など、あらゆる可能性が検討されるべきだと考えるのである。そして、これらの闘いの積み重ねが日本を変革するための国際的圧力を作り出すのである。
 郵政4・28闘争の最高裁での闘い方も、このような教訓をもとに展開するべきだと考えるのである。すなわち、日本における労使関係のあり方が、国際的労働基準からみるといかに違法・不当なものであるのか。これを国際的・国内的に徹底して暴き出すことによって、郵政公社の上告受理申立てに対して最高裁がそれを却下せざるを得ない環境を大衆的に作り出すことが可能だと考えるのである。

【9月30日】


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