●中国の反日感情に何を見るか●
拡大する経済関係と険悪化する政府関係
=「もうひとつの国際貢献」の基盤−アジアとの協調=
(インターナショナル147号:2004年8月号掲載)
▼今そこにある不満
サッカーのアジアカップで噴出した中国民衆の反日感情に対する日本国内の反応には、改めて愕然とさせられる。
すべてのマスメディアが「スポーツに政治を持ち込むべきではない」という奇麗事に終始したのもさることながら、左翼やリベラルを自認する勢力が「日本による侵略の歴史と怨念」をしたり顔で説教する一方、保守派は物知りげに「中国共産党の反日教育」を槍玉にあげる状況は、「冷戦の終焉」から十余年を経てなお日本の政治勢力が旧態依然たるイデオロギーに囚われ、グローバリゼーションの進展が大きく変えてしまった東アジアの現実を直視できずに混迷しつづけていることを浮き彫りにした。
もちろん左翼や「リベラル派」が主張するように、重慶という町は日本軍が世界で初めて「戦略爆撃」なる都市の無差別爆撃を敢行して大虐殺を行った場所であり、戦後日本の政治が、日中国交回復の後も侵略による被害に対する補償をほとんどしてこなかった結果として、中国に根強い反日感情が広範にあるのは事実である。
だがあえて言いたいのだが、そうした歴史的怨念や民族的反感は「今そこにある不満や屈辱」によって「呼び覚まされる」のであって、現実的な契機なしに「過去の怨念が噴出する」ことなどあり得ない。同様に中国共産党による過去の反日教育を理由にして「現在の反日感情」を説明しようとすることにも無理がある。それは両者ともに、軍用ヘリコプター墜落事故で高まる沖縄の「反米感情」の原因を、60年前の沖縄戦の惨劇や当時の軍国主義教育に求めるのと同じくらい短絡的で的はずれなことなのだ。
歴史的怨念や反日教育は、今そこにある不満や屈辱に対する大衆的反感を背景にして、広範な共感を得る屈辱の記憶として呼び覚まされたのである。だからわたしたちが理解しなければならないのは、中国民衆が「今」日本に抱く「不満や屈辱」とは何か、ということでなければならない。
そして実はこの問題の解明は、戦後日本の革新勢力が、小泉政権に対する批判の受け皿としての役割すら果たせない程の解体状況に直面した7月参院選の結果に示された「主体の危機」を明らかにし、新たな社会変革の主体を再構築する上で欠くことのできない国際的条件や社会的基盤を見いだすことに通じていると思う。
▼戦後外交のなし崩し的転換
アジアカップの会場に現れた反日感情の直接的な契機は、日中の経済関係が一段と深まる一方で深刻化する、日中両国政府関係の冷却化にある。
両国の首脳会談が3年以上も開催できない事態は、日本で新しい総理大臣が指名され、あるいは中国で新指導部が選出されれば必ず首脳会談が行われてきたこれまでの両国関係を考えれば、かなり「悪化している」とさえ言うことができる。
ところがその一方で日中の経済関係は、成長著しい中国本土にむけた日系資本の直接投資・輸出ともに急増し、これに伴う日本人の中国渡航も増加し、これと比例するように日本人による集団買春や「民族侮辱事件」が起き、それが反日暴動を引き起こしたことはすでに周知の事実であった。もちろん反面では中国人労働者の来日と「不法就労」が急増して犯罪も増加しているが、その日中間には犯罪人引き渡しの協定さえない。
要するに日本の政治勢力やマスメディアは日中関係の悪化についてあまりにも無自覚であり、その分だけアジアカップで反日感情が噴出したことに不意を打たれ、不快感を露にすることになったのだ。「意外な」反日感情に対して「日本の世論」は憤慨し、「スポーツは平和の象徴」といった、国際的にはあまり説得力のない奇麗事を繰り返し、事件の背景を直視することさえ忘れてしまったと言えるかもしれない。
だが現実には2001年に小泉政権が誕生して以降、日本の外交はなし崩し的な転換を通じて、いわば戦後外交の枠組みを事実上大きく変更しつつある。それは自衛隊の海外派兵や多国籍軍参加など、総じてアメリカ追随と言われる親米路線への傾斜にばかり目を奪われがちだが、他方でこの転換は、日本がアジア諸国との軋轢を拡大しつつあることと一対でもあった。
グローバリゼーションの圧力を受けた日系資本がアジアに生産拠点を移す資本攻勢を強め、原油の中東依存のような資源調達リスクを分散しようとアジア各地で資源開発プロジェクトに積極的に乗り出す一方で、日本の対アジア外交はそれに見合う積極的役割、つまりアジア地域の経済的・政治的安定に貢献してはいないからである。
むしろ現実の日本の対アジア外交は、グローバリズムにもとづく身勝手な経済行動を正当化しようと、緊急輸入規制(セーフガード)の発動や排他的経済水域を持ち出して富や資源の囲い込みを強め、あるいはアジア諸国の利害対立につけ込んで各国を分断するかのように二国間自由貿易協定(FTI)締結交渉を推進し、結果としてアジア諸国の反日感情を挑発しつづけている。
しかも北朝鮮との国交正常化交渉の頓挫が象徴するように、アメリカの世界戦略への追随は朝鮮半島危機=それは戦争の危機というよりも、金正日政権の内紛や崩壊による地域的混乱の危機だが=の回避という安全保障の課題でも、当事者と言うべき中国や韓国との協調以上にアメリカの意向に忠実でありつづけることで、アジア諸国の不信を助長していると言っても過言ではない。
だがひるがえって、こうした小泉政権を批判してきた戦後革新勢力が、はたしてアジア諸国との関係で、グローバリゼーションの時代が要請する役割を果たし得る戦略的対案をもっているだろうか。
▼日中間の経済的あつれき
例えばだが、小泉の靖国参拝のような政治問題ではこれを厳しく批判する戦後革新勢力は、他方では中国産ネギにセーフガードが発動された問題では、日系商社の「ネギ種」輸出の規制を唱えはしたが、セーフガードの発動については「国内生産者の保護」という保守勢力とまったく同じの立場に立ち、「当然の権利」としてこれを支持し、政府に「有効な対策」を要求しただけであった。
しかし保守勢力の「親米」に対抗するかのように「日中友好」を説きつづけてきた戦後革新勢力には、「有効な対策」を政府に漠然と要求する以外に、政党としてできることがあったはずである。
たとえセーフガードの発動がやむを得ない緊急避難だったとしても、これを機に同じような経済的緊張や軋轢を回避するための両国間の協議と協調の必要を訴え、現実的な対応策を具体的に示すること、これである。
具体的に言えば、日中間の農産物貿易に関する包括的ルールのための二国間協議を直ちに開始することを政府に要求し、同時に「友好関係」にある中国共産党にもこれを呼びかけることは十分に可能だったと思えるし、合わせて日中両国の研究者や専門家を中心とする非政府系の国際会議を呼びかけ、中国生産農家の損害を一顧だにしない日系商社の身勝手な経済行為の効果的規制を共に探るなど、日中友好をより現実的に促進する相互協力を実践的な行動によって示すことも可能だったと思えるのである。
革新勢力の側が問われていたのは、セーフガードの発動が国際ルール(グローバルスタンダード)に照らして「当然の権利」だとする国内向けの主張を越えて、今後の日中関係という国際友好関係の発展をいかに展望するかという戦略的構想の提示だったと思うのである。だが戦後革新勢力は、こうした戦略的対案を提起する代わりに「国内農業を守る」という保守勢力と同じ立場に立ち、結果としてではあれ日系商社や保守勢力と同様に、中国のネギ生産農家の損害や不満を顧みることはなかったのである。
これは瑣末な問題ではない。なぜならセーフガードの発動に伴う突然の買い付け中止によって、中国の生産農家が甚大な損害を被ったという日中貿易の現実は、まさしくグローバリゼーションの時代が生み出した、中国民衆の「今そこにある不満」を端的に示す事件だからである。
しかも今後、日中間の直接投資や両国間の貿易がさらに拡大すれば、こうした経済的あつれきが戦略的資源や物資をめぐって、つまり石油資源や鉄鋼をめぐって現れる可能性も否定はできない。それは日中関係の将来、つまり日中の友好にとって大きな阻害要因となるに違いない。
こうした戦後革新勢力の徹頭徹尾の一国主義は、日系多国籍資本がグローバリゼーションの圧力に押されて生産拠点を次々と海外に移転し、対中直接投資を急増させているのとは実に対象的である。
▼アジア現代史の共同研究
だが経済問題に現れた戦後革新勢力の一国主義は、実は保守勢力に対する政治的批判にも貫かれている。
というのも中国のいわゆる「知日派」と呼ばれる知識層には、日中関係の険悪化を憂慮して、過去の歴史へのこだわりを越えて未来に目を向ける「新思考」と呼ばれる問題提起をする人々が現れ始め、アジアカップで噴出した「反日感情」についても自己省察的見解を表明する人々がいるという(朝日新聞:8/19「日本@世界」)。
それは日本によるアジア侵略の歴史を各国政府の思惑を越えて客観的に再検証し、歴史の偽造や歪曲を含めた各国の民族主義的勢力の扇動に抗して、日中韓3国を中心にしたアジア現代史の国際共同研究とこれに基づく歴史認識の共有を追求する可能性が、ほかならぬ中国の知日派から日本の諸勢力に提起されていることを意味している。
もっともこうした共同研究は、日本を含む各国政府にとって必ずしも歓迎すべきものではない。と言うのも客観的史実の解明と歴史認識の共有は、とくに緊張関係にある国家間の政府にとっては可能であれば利用したい政治的道具、つまり感情的な民族主義的扇動の効果を妨げるだろうからである。しかしだからこそ国家の思惑とは区別された自立的な国際的共同研究は、日本がアジア侵略の歴史を直視して「アジアの孤児」を脱却し、「アジアの同胞」へと転じるために不可欠な試みでもあるだろう。
ところが日本の革新勢力も、知日派の「新思考」を必ずしも歓迎しない。というよりも戦後革新勢力にとって、日本によるアジア侵略の歴史は保守政権を非難するための材料であり、改めて検証する必要もない「決着済みの事実」だからである。
だがここでもあえて言うが、それは「侵略の被害」の問題を日本国内の保革対決という政治的利害に従属させ、日本の現代史にアジア側から光りを当てることに背を向ける実に一国主義的な路線だし、日中関係の現在や今後については何ら積極的提案を含んでいないのも明らかである。しかもアジアカップに現れた中国民衆の「反日感情」は、前述したように「今そこにある不満」によって呼び覚まされているのであり、アジア侵略の過去を美化する保守政権を非難し対立点を明らかにするだけで済む問題ではない。
さらに日中韓3国を中心とするアジア諸国民衆が、歴史認識の共有を土台にして新たな国際協調を見いだすことは、日米同盟の堅持を盾にした保守勢力の「国際貢献」論に抗して、アジア諸国との協調を土台とした「もうひとつの国際貢献」の現実的可能性を示すことにもなるのである。
▼「アジアの同胞」としての国際貢献
小泉政権の下でなし崩し的に進行した戦後政治の転換は、日米同盟の堅持とともに「国際貢献」をキーワードに進められた。
イラクへの自衛隊派兵も多国籍軍への参加も「国際貢献」として説明されたし、その実施の過程でも「国際貢献」をキーワードにしたキャンペーンが展開され、この国際貢献キャンペーンが社会的に浸透するのに反比例して、戦後革新勢力の「平和憲法を守れ」の主張がリアリティーを失い無力化されたようにさえ見える。
経済が世界化する一方で、市場経済が必然的に生み出す経済格差を緩和すべき政治は国民国家に分断されているグローバリゼーションの時代は、地域や国家間の格差から生じる社会的混乱や政治不安の為に、経済的に豊かな国々に「国際貢献」をいやおうなく迫り、日本もその埒外には居られない。
ところが「戦争に巻き込まれるな」を基調にして、日本をあらゆる国際的地域的紛争の埒外に置こうとする戦後革新勢力の一国平和主義は、国際的支援を切実に必要とする世界の人々にとっては、ある意味で身勝手で自己保身的でさえある。戦後革新勢力が「国際貢献」を盾にした保守強硬派の攻勢に押され、あるいはイラク派兵に反対して自発的に世界各地の人道支援に赴くNGOやボランティアの政治的受け皿にもなり得ないのは、この国際貢献という時代のキーワードについて積極的で具体的な対案を持とうとせず、むしろ旧態依然たる孤立主義的な日本の平和に固執しているからでもある。
こうした意味で、中国と韓国を中心とするアジア諸国との地域的協調を基礎に、だからまたこれらの国々との協議と信頼の上に展開される国際貢献は、日米同盟を基礎にした、軍事的貢献を強制される国際貢献に対抗する対案となり得るだけでなく、なお欧米諸国との格差に悩む「アジアの同胞」と共に国際貢献を構想し展開することで、「脱亜入欧」を掲げてアジア侵略にまで至った日本の近現代史の負債=戦後日本のアジア外交がうやむやにしつづけた歴史的負債=に決着をつけ、東南アジア諸国連合(ASEAN)が先駆的にめざしてきたアジア経済圏構想を共に担う、グローバリゼーションの時代にふさわしい日本の国際的アイデンティティーを再構築する第一歩となるだろう。
▼日中共同の資源開発事業体
冷戦の終焉で「平和の配当」への期待が高まった80年代末、日本と韓国・朝鮮そして中国、ロシアにまたがる「環日本海経済圏」が持て囃された時期があった。その後91年の湾岸戦争などで「平和の配当」への期待は幻想となり、「環日本海経済圏」もほとんど構想倒れに終わったが、日本列島と大陸を分断してきた冷戦の境界を越える新時代の経済関係の再構築は、この地域の長い交流の歴史から見れば当然の展望だった。
それから10年、つまり日本経済の「失われた10年」の間に東アジアで進展したグローバリゼーションと中国の経済的台頭が、「環日本海経済圏」をはるかに超える巨大な地域経済圏の可能性を出現させた。
こうした東アジア経済の現実は、ともすれば「日本資本による経済侵略」として非難されるが、それは前述のように「緊急輸入規制(セーフガード)の発動や排他的経済水域を持ち出して富や資源の囲い込みを強め、あるいはアジア諸国の利害対立につけ込んで各国を分断するかのように二国間自由貿易協定(FTI)締結交渉をすすめ」ている側面ばかりに注目し、このアジア規模の経済的現実が、日本とアジアを貫く変革主体の国際的基盤となる可能性を無視している。
問題なのは、この経済的基盤と新しい時代を担う社会的運動に依拠して、アジア諸国との協調を現実的に発展させる戦略を構想する政治的イニシアチブなのである。
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アジアカップの会場に、中国サポーターの手で「釣魚島を返せ」の横断幕が掲げられたが、これもまた領土問題という形で表現された中国民衆の「今そこにある不満」である。原油をはじめとする有力な海底資源をめぐって激化した日中両国政府の島の領有に関する確執は、中国の民族主義者のみならず日本の民族主義右翼にとっても格好の扇動材料にさえなっている。
ところが戦後革新勢力は、ここでも「日本固有の領土」という保守勢力と同じ立場から、「話し合いによる解決」を主張しているに過ぎない。だが冒頭の経済問題でも指摘したように、問われているのは一般的に正しい、だが具体性のない主張で日本の保守政権を非難することではなく、日中友好という「理想」の実現にむけた具体的な対案の提起と、国家の思惑とは区別された自立した実践的運動のイニシアチブなのである。
「釣魚島」を領土問題として対処しようとすれば、それは民族主義勢力の思うつぼである。むしろこの問題は海底資源の開発と利用の問題なのであって、この視点からなら平和的解決の可能性はある。つまり激しく対立する領土問題を「話し合い」で解決するのは極めて困難だが、「釣魚島」周辺の海底資源を日中両国が共同で開発して有効に利用するという視点で現実的な可能性を探る、そうしたアプローチが必要なのである。
というのも、相対立する国家が国境紛争の原因となってきた天然資源を共同で開発した事業体のモデルが、欧州炭鉱鉄鋼共同体(ECSC)としてすでにあるからである。第二次大戦後の1952年に結成されたECSCは、宿敵だったフランスとドイツの歴史的紛争地帯を新たな地域的協調の象徴へと転化し、1958年のEEC(欧州経済共同体)の発足を経て今日のEU(欧州連合)の最初のモデルとなったのは周知の事実である。この歴史的経験を援用した日本の資金と技術、そして中国の失業者問題と国際経済の波乱要因になりかねない旺盛な原油輸入の緩和といった課題を結合させる海底資源の共同開発は、現実的であるだけでなく経済的にも合理的であろう。
もちろん小泉政権や親米路線に固執する保守政権の下で、アメリカが不快感を示すであろうこうした事業が実現される可能性はほとんどない。だがそうだからこそ、日中両国の研究者や専門家による、国家の思惑から自立した共同研究や共同提案を実践的な社会運動として提案するイニシアチブが、戦後革新勢力や「派兵による国際貢献」に反対するすべての勢力に問われているのだ。
そしてこうした自立的な社会運動の重層的な蓄積こそが、閉塞状況に陥っている日本の政治と外交を変える社会的基盤を形成することになるだろう。
(9/3:きうち・たかし)