【43回総選挙について】 「二大政党制」の幻想と崩壊する戦後革新の社会的陣地

―ブームに依存する民主党と衰退する自民党の支持基盤―

(インターナショナル第140号:2003年11・12月号掲載)


▼奇妙な選挙の低投票率

 振り返ってみると、実に奇妙な選挙戦だった。それは自民党が議席を減らし、民主党が大幅に議席を増やしながら、連立与党は絶対安定多数を得て小泉政権が「信任」されたという選挙結果だけではない。
 「政権選択選挙」や「マニフェスト(政権公約)選挙」が大げさに宣伝された一方で、政権を争う自民、民主の「二大政党」がともに「改革」を強調し、官僚政治の打破や地方分権の推進と言った共通するテーマを掲げ、どちらが「改革」をよりよく推進できるかをめぐって細部の競い合いに終始し、イラク戦争や朝鮮半島危機で顕在化した外交と安全保障をめぐる戦略的課題や、低迷のつづく日本経済の展望や新たな時代に対応する社会保障制度の将来像など、国家再編の核心的課題をめぐる対抗的な選択肢はついに提起されなかったからである。
 たしかに共産・社民両党は、護憲や社会保障の拡充を掲げたが、それは「政権交代の可能性」というブームに押し流され、歴史的惨敗を喫することになった。しかもこの両党の敗北は、二大政党の狭間に陥った少数政党の苦境と言った一般的評価以上に、戦後日本の革新・左派勢力の社会的基盤が崩壊しつつある現実を浮き彫りにするが、この点については後に述べる。
 奇妙な選挙戦の結果として、投票率は前回00年総選挙の62・49%を大きく下回り、戦後最低の59・65%(96年)に迫る59・86%(小選挙区全国平均)にとどまり、すべての都道府県で前回を下回ったばかりか青森、山形など22県では過去最低を更新する低調さだった。与野党の獲得議席も、連立与党である自民、公明、保守新党の3党では絶対安定多数を獲得して「国民の信任を得た」一方で、野党第一党の民主党は、旧社会党が1958年に獲得した野党第一党最多議席166を11議席も上回る177議席を獲得、改選前の民主・自由両党の合計議席を40も上回る躍進はしたが、政権交代には程遠い結果に終わった。

 この選挙結果について、したり顔の評論家たちは「有権者の絶妙のバランス感覚」などと例によって奇妙な論評を披瀝しているが、それは総選挙に示された現代日本の社会的変化に対する無知の表現でしかない。
 だが90年代に進展したグローバリゼーションの圧力によって始まった日本社会の再編成と、これに受動的に対応する国家再編=行財政「改革」を越えて、戦後の世界資本主義が直面しつつある経済的低迷=過剰生産という歴史的限界を見すえ、民衆自身による社会変革の展望を切り開こうとする階級的労働者は、選挙結果に示された日本政治の現実を90年代以降進展した社会的再編の反映として捉えかえし、「2003年体制」や「二大政党制」への期待を裏切る新たな政党再編の可能性を含めて、時代の大きな転換期を捉える主体の立て直しに向けた糧とするよう努める必要があると思われる。
 こうした作業のために、まずは政党ごとの総選挙の勝敗と、その支持基盤の変化に注目してみたい。

▼自民党の敗北、公明党の勝利

 まずは改選議席247を237に減らした自民党の敗北は明らかである。選挙後の追加公認と11月11日の保守新党の吸収で244議席と単独過半数を越えたとは言え、それで議席減と公認候補による過半数獲得に失敗した選挙結果が相殺される訳ではない。
 もちろんこの敗北は、圧勝した01年参院選の再現を期待されて総裁に再選された小泉には、なによりの痛手である。選挙前の予想では最大の不安材料と考えられた民主・自由両党の「合併ブーム」に対抗して、若手抜擢人事やら道路公団総裁の解任など得意のパフォーマンスをすべて繰り出してなお改選議席の確保に失敗した小泉の、政治的求心力の低下は不可避である。
 しかも、選挙戦では意図的に回避されたイラク派兵問題や道路公団に対する不当な政治介入疑惑といった争点は、求心力が低下するであろう小泉政権に追い打ちをかける潜在的な脅威となろう。
 だが自民党にとって本当に深刻なのは、与党間の選挙協力によって堅固な組織票をもつ公明党のほぼ全面的な支援をとりつけ、かつ組織票が強みを発揮する低投票率の選挙でも勝てなかった現実である。
 この結果はとりもなおさず、自民党の最も強力な支持基盤である各種業界団体などの集票機能の低下が、今回の選挙で敗北した主要な要因であることを雄弁に物語る。戦後半世紀にわたって、政権をほぼ独占することで営々と築き上げられてきた自民党の支持基盤は、単独では過半数の議席確保さえできなくなったということである。
 こうした自民党支持基盤の衰退と分解を補完して、連立政権の維持に必要な議席の確保に大いに貢献し自らも改選議席を3議席上回った公明党は、もちろん今総選挙における第一の勝者である。
 衰退著しい自民党の支持基盤を補完したこの党の堅固な組織票は、宗教的タガによって維持される排他的功利集団がもつ現世利益に対する強い執着を改めて確認させるものであろう。国家財政から利益を引き出すべく政権党と癒着しその経済的利益を排他的に集団内に配分する、いわば自民党的な利益誘導政治の縮小版とも言える構造をもつ公明党・創価学会にとって、連立政権の維持は自民党に勝るとも劣らぬ目標であり、その実現が公明党の勝利の核心でもある。
 しかも小選挙区という選挙制度の下では、各選挙区に数万票あると言われる公明党の組織票は、60人の自民党公認候補の当落を左右したとの推計が報じられるほどの威力を発揮することになった。公明党の支援なしには、自民党は比較第一党の地位さえ脅かされる可能性があったのである。

▼保守政治最後の陣地=公明党

 支持基盤の著しい衰退を要因とする自民党の敗北にもかかわらず、公明党の支援によって維持された「自民党政権」とは、いったい日本社会のどのような変化を映し出しているのだろうか。
 自民党の敗北は、その支持基盤である業界団体などの集票機能の低下によってもたらされたが、こうした事態はほかでもなく、小泉が推進した「構造改革」によって加速されたという皮肉な側面がある。
 小泉の改革路線は、かなり主観的ではあれ日本経済をグローバリゼーションに順応させるべく市場原理と自由競争をあらゆる領域に広げ、個々人が利己的な経済的利益を追求する無政府的自由を称賛・促進しようとするものである。だがそれは政権党たる自民党と国家官僚機構に癒着し、それがもたらす経済的利益の恣意的な配分を通じて業界や地域を支配する、戦後の日本社会に深く根を張ったボス支配の経済的基盤と政治的権威を掘り崩すことに他ならなかった。自民党実権派いわゆる抵抗勢力と小泉の確執は、こうした社会的抗争の政治的表現なのである。
 もちろん小泉が「改革」を推進しなかったとしても、グローバリゼーションが促進した貿易と金融の自由化のもとでは、排他的な業界ボス支配は激しい国際競争の圧力を受け、いずれにせよ衰退を免れなかったであろう。それでも小泉が推進した諸政策、とくに「財政再建」を名分とした緊縮財政と金融資本の競争力を強化しようとした金融再編は、日本経済の資金の循環(マネーサプライ)を無秩序で急激な再編過程に投げ入れ、これに代わる資金循環の構築を「自然の成り行き」に任せる無責任な政策の結果として、地域や業界のボス支配に依存してきた中小零細事業者に打撃を集中し、支配的ボスの政治的権威の失墜を加速して伝統的支持基盤の弱体化を招いたのは明らかである。
 だがこうして自民党の支持基盤が衰退したのなら、なぜ現世利益に執着する排他的功利集団である公明党・創価学会は、なお堅固な組織を維持できたのだろうか。
 実は排他的功利集団である創価学会には、カリスマ的教祖を頂点とする疑似共同体というもう一つの側面がある。学会員相互の強い結びつきは、現世利益とともにそれを「分かち合う」疑似的な「相互扶助」関係、要するあらゆる職種を抱える集団内部で優先的に仕事や資金を融通しあう相互依存関係をもうひとつの土台にしており、そうした内的秩序がカリスマ的教祖を頂点とする家父長的位階制の下で再生産されているのだ。
 グローバリゼーションの展開と弱肉強食の市場原理が、個々人の利己的利益の追求を称賛して地域や業界ボスの政治支配の土台を掘り崩したのとは対照的に、カリスマ的教祖を頂点とする家父長的秩序で疑似的相互扶助を再生産する創価学会は、戦後利益誘導政治の小さくとも堅固な最後の堡塁として、危機に瀕する自民党政権の救援に自らの集団的利益を見い出したのである。

▼ブームに乗った民主の躍進

 公明党が第一の勝者なら、総選挙での次の勝者は躍進著しい民主党である。だがこの党の勝利は、脆弱な社会的基盤しかもたない実にあやうい「勝利」である。言い換えれば民主党の勝利は、ブームによって達成されたという大きな弱点を抱えている。
 社会的基盤の脆弱さという民主党の構造的弱点は、選挙での得票率とそれ以前の政党支持率のギャップに端的に示される。
 今回の総選挙での自民党と民主党の得票率は、小選挙区では43・8%対36・7%とその差は僅かに7・1ポイントだし、比例区では35・0%対37・4%と民主党は堂々の第1党である。ところが、11月総選挙が確実視されるようになった9月下旬の各種世論調査では、安倍晋三の幹事長抜擢などマスコミ受けする話題があったとは言え、自民党の支持率がおおむね30%台の後半で40%に近いのに対して民主党の支持率はほとんどが一桁であり、自由党との合併を発表した直後に期待が高まった時でも10%を少し越える程度であって、その差は歴然としている。
 この得票率と政党支持率の落差は、自民党支持者が一定の社会的層として存在しているのに対して、民主党支持者はほとんど社会的層を形成していないと考えられるデータであるだけでなく、民主党の社会的基盤の脆弱さの証拠である。
 衰退が著しいとはいえ、自民党がなお一定の社会的基盤に立脚し、戦後的保守政治の最後の陣地=創価学会を補完勢力にして政権を維持したとするなら、「マニフェスト」を掲げ「政権選択選挙」を全面に打ち出して選挙戦に臨んだ民主党は、社会的には根無し草であるが故に、自由党との合併効果や「菅・小沢の二枚看板」といったムードに依存し、小泉改革に対する大衆的不信と政権交代の期待を背景にしたブームに乗って躍進したことを示している。それはまた民主党の堡塁あるいは非自民党の陣地として期待されつづけているナショナルセンター・連合が、保守的なボス支配とは一線を画す対抗的社会基盤を組織するイニシアチブたり得ていないことを暴露するものでもある。
 だとすれば、敗北した自民党と躍進した民主党の議席数の接近に目を奪われた「二大政党制の到来」や「2003年体制の始まり」などの論評は、小泉を含む自民党政権にうんざりした大衆的期待を代弁するとしても、民主党の社会的基盤、あえて言えば利益誘導政治に対抗する「社会的陣地」が未形成である現実を見ない幻想と言う他はない。

▼共産、社民の支持基盤の解体

 残るのは共産党と社民党だが、この両党の敗北は冒頭で述べたとおりである。
 共産党は全ての選挙区に候補者を擁立した小選挙区得票率でも前回の12・1%から8・1%に減じ、比例区得票率も11・2%を大きく割り込む7・8%とどまり、改選議席の20も9議席と半減を余儀なくされた。
 社民党の敗北はさらに深刻である。この党の小選挙区得票率は前回の3・8%から2・9%と25%も落ち込み、小選挙区の当選者は定数が1増した沖縄(照屋寛徳)だけで、党首の土井も兵庫7区で次点となり比例区(近畿ブロック)でかろうじて当選を果たしたが、そのあおりで同比例区の1議席(中川智子)を失うことになった。その比例区得票率も前回の9・4%から5・1%へとほぼ半減し、東京における虎の子の1議席を失ったのをはじめ、改選の18議席は三分の一の6議席にまで減らす文字通りの惨敗であった。
 この両党の大敗は、確かに二大政党の狭間に沈む小政党の苦境ではある。事実、朝日新聞の出口調査報告(11月10日付)が、内閣不支持層の大半(67%)が比例区で民主党に投票し、01年参院選でこの層の27%を獲得した共産党は13%に、社民党は16%から7%に激減したと報じたように、「二大政党下の政権選択」というブームのおかげで両党の「ゆるやかな支持票」は大量に民主党に流れ、比例区得票に頼らざるをえない弱小野党にとっては厳しい選挙戦だったのは間違いない。
 しかし政党の社会的基盤の変化と消長という視点で敗北の要因を見れば、こうした厳しい条件は、この2つの党の社会的基盤の衰退を暴く引き金になっただけと言うこともできる。むしろ両党が直面する本当に深刻な危機は、60年代から70年代にかけて蓄積した政治的資産を食いつぶし、衰退したとはいえ保持してきた「社会的陣地」の解体が急速に進行しつつある現実にある。
 例えば公明党の堅固な組織票に匹敵する堅固さを誇ってきた共産党の組織票は、前回総選挙と今回の得票率の比較において明らかな衰退傾向を示している。
 公明党の比例区得票率は、前回総選挙での13・0%から今回は14・8%に増加したのに対して、共産党の比例区得票率は前回の11・2%から7・8%へと激減した。共産党のゆるやかな支持票が民主党へと流れ、自民・公明の緊密な選挙協力があったにしても、両者の盛衰は実に象徴的である。

▼社会的陣地解体の背景

 共産党と社民党の「社会的陣地」の解体の進行は、すでに4月の統一地方選挙において現れていた。国際的批判の強い米英軍のイラク侵攻があり、北朝鮮に対する無謀な強硬論が台頭する中で闘われた統一地方選挙でも、いわゆる「左翼バネ」はほとんど作動しなかったし基礎票が2〜3割減少したのも明らかだった。しかもそれが総選挙に向けた危機感を強めたとも言い難い。
 こうした事態は、この2つの政党の危機が戦略的展望の喪失にあることを物語る。戦略的立て直しには時間が必要だし、危機感だけでこれを突破することもできないからである。だが同時にそれは、時代の変化に対応できない思想的行き詰まりと言える深刻な危機を意味しており、両党の、とりわけ堅固さを誇った共産党の社会的陣地の解体はこれに起因したものであろう。
 決定的なのは、「豊かな大衆消費社会」を謳歌する戦後資本主義の繁栄が絶頂を迎えていた60〜70年代に、繁栄の恩恵から取り残された社会的下層の人々を基盤にして、「社会主義的政権の樹立」による福祉社会の実現を訴えて勢力を拡大した共産党と旧社会党は、逆に過剰生産に直面した戦後資本主義の歴史的危機の時代に、資本主義の経済的繁栄を前提にした「社会福祉を充実させる資本主義」の展望を「頑固に」提起する自らのチグハグさを直視できないでいることだ。
 このチグハグさを象徴するのは、共産・社民の両党がいま、連合や民主党といった資本主義的繁栄を願望する勢力との連携や選挙協力への期待に傾斜する一方で、両党の共同行動や統一戦線つまり選挙協力や議会内統一会派などの発想がほとんどない状況に陥っていることである。もちろんこの「社共共闘」は、70年代に一世を風靡した共闘関係の焼き直しではない。その経済的基盤であった大衆消費社会の繁栄は終焉し、共産・社民の両党の戦略的展望が現実性を失っている以上、現状のまま両者が共闘をしても新しい転機が生まれるはずもない。
 ではいったいどこに、共産・社民両党が新たな共闘関係を築く基盤と積極的可能性が見い出せるのだろうか。

▼社共の「内なるボス支配」

 今日の新しい社会的陣地の基盤となる可能性をもつのは、自公連立政権や二大政党制といった政治システムから排除され、政治の恩恵からも疎外されることで支持すべき政党も組織も見いだせず、「強いリーダーシップ」や「構造改革」などの幻想に飛びついては幻滅を味わって政治不信を強め、将来的な夢や希望を失って漂流している膨大な未組織労働者や、かつての利権構造から見捨てられた零細事業者たちからなる層である。
 それはすでに10年ほど前から「無党派層」と呼ばれ、いまでは全有権者の過半に達するまでに増加して様々な政治ブームを演出してきたが、この社会的層に分け入り、戦後保守政治の基盤である家父長的ボス支配に対抗する「社会的陣地」を構築し、グローバリズムに抗する社会変革を訴えるような政治勢力はいまも現れてはいない。
 これは連合という特権化した労働組合に依存しようとする民主党もさることながら、共産・社民両党も、結局は自民党と同様の経済成長神話に囚われ、自らもまた抱える「内なるボス支配」から転換しようとしない結果に他ならないが、その「内なるボス支配」の堕落を示すひとつの典型が、国家的不当労働行為と対峙してきた国労主流派の「先祖返り」であった。
 中曽根政権下で強行された国鉄の分割民営化を公然と批判し、国鉄とJRの採用差別に抗して「仲間を守る」闘いに踏み出した国労の社共共闘派=社会主義協会派と共産党・革同派は、企業内秩序から排除されつづける正社員組合の組織的危機に直面するや、JRの不当労働行為責任を免罪しこれに抵抗する被解雇者を官僚的に抑圧する「共闘」へと変質した。それは資本に対抗しつつも、労働者の要求を賃上げなどの経済的利益の取引へと矮小化し、その利益配分の権限を労働組合支配の手段としてきた、総評労働運動にも広く見られた「労働組合ボス支配」の防衛のために、不当に解雇された当事者たちの声を圧殺しようとする行為であった。
 総評解体と連合結成に抵抗し、全労協結成の基盤を提供した最後の社共共闘派も、民営化後のJRが導入した非正規雇用や下請け労働者に組合の門戸を解放し、企業社会から自立して「仲間を守る」相互扶助の発展を展望する道には、ついに踏み出すことはなかったのである。だとすれば「社共共闘」の全盛期に、その社会的陣地を構築する最も有効な道具であった地区労(各地区労働組合評議会)の解体を強権的にすすめ、企業内労組のボス支配を強化した連合が「内なるボス支配」から転換できるはずもない。
 こうして共産・社民両党は、蓄積した資産を食いつぶすだけで社会的陣地を拡大する可能性を自ら閉ざしてきたし、連合もまた民主党の基盤となる社会的陣地を構築するイニシアティブたり得ないのだ。
 つまり共産・社民の両党が、二大政党制の幻想に対抗して「存在感ある少数政党」とし存続することが可能だとすれば、それは連合結成に反対した本質的な意義すなわち職場と地域の現実に根差した対抗的陣地の防衛という原点を再確認し、労働者と市民の自立的な相互扶助を発展させる労働組合や協同組合の再生を追求する新たな共闘関係を構築できた場合だけであろう。
 そしてその試金石が、あらゆる政治的恩恵から疎外され、支持すべき政党も組織も見いだせずにいる膨大な未組織労働者の組織化に他ならないのである。

▼自立的相互扶助のニーズ

 労働者と市民の自立的な相互扶助機能の再構築と復権は、日本の戦後保守政治の基盤である地域や業界のボス支配と対抗する、社会的陣地の形成にとって重要なキーワードのひとつである。
 それは「改革」だけがグローバリゼーションへの対応策ではないという意味で、さらには蔓延する社会不安の緩和に必要なセーフティーネットの再構築を経済成長の神話に囚われずに実現するという意味で、もう一つの世界ともう一つの日本を構想するすることに通ずるだろうからである。
 小泉政権も民主党も、共に「改革」を唱えて社会保障制度の弱体化をすすめる「小さな政府」へと向かい、他方の保守実権派が旧態依然たる地域や業界のボス支配に固執しようとするなら、改革からも旧来的利権構造からも疎外された人々は、自らを救うために自立的な相互扶助機能を自発的に組織する以外にはない。しかも自立的な相互扶助機能は、たとえ疑似的であってさえ人々を強く結びつけて政治的力となる可能性をもつことは、公明党の例でも明らかである。
 そしてこの社会的必要性こそは、「労働者と市民の自立的な相互扶助を発展させる労働組合や協同組合の再生」のための客観的な基盤なのであり、グローバリゼーションに対抗しようとする欧米の労働運動や社会運動もまた、こうした自立的な相互扶助の運動に強力な基盤を見いだしている。
 しかも未組織労働者の組織化はいま、「安全な社会」を口実に外国人を敵視する排外主義を煽り、それを戦後政治のタブーに挑戦する「改革」であるかのように装う「強いリーダー」に対抗する社会的運動という意味でも重要な課題となっている。
 グローバリゼーションの圧力と、加速する高齢化社会で予測される労働力不足は、今後必然的に外国人労働者を増加させることになるが、これを敵視する「改革派」の扇動は、外国人をふくむ非正規労働者の劣悪な労働条件と低賃金を正当化し、他方で社会的下層にあって政治不信を強める人々に不満のはけ口を与える危険な行為である。
 つまり外国人労働者を含む未組織労働者の膨大な存在は、グローバリゼーションに対応する最も積極的で最も国際主義的な、自己決定にもとづく大衆自治の社会を展望する闘いの広範な基盤なのである。

 第43回総選挙は、戦後保守政治の社会的基盤の衰退と、いわゆる戦後革新勢力の社会的基盤の崩壊状況を如実に示すことになった。それは、これまでのあらゆる既成概念にとらわれない根本的な主体の再構築と、そのためのイニシアチブの形成を問う、大きな転機であるには違いない。

(12/1:きうち・たかし)


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