北朝鮮にいる拉致被害者の家族をいかに帰国させるか

−マスコミ報道に見る歴史的想像力の貧困−

(インターナショナル第138号:2003年9月発行:掲載)


 ユニバシアード韓国大会に送り込まれてきた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の女性応援団が、「ビジョグンダン(美女軍団)」と呼ばれる好奇の対象として報じられる中、彼女たちが横断幕にプリントされた金正日の写真を降ろすよう涙ながらに抗議する姿は、「笑顔の陰の本性見たり」と言った論調で報じられた。美女たちの笑顔の応援は「北の心理作戦」であり、彼女たちは「金正日に忠誠を誓う特務工作員」という訳だ。
 「おい、おい、おい、おい。いい加減にしてくれヨな」というのが、この報道に接したときの率直な感想だ。こんな憶測を恥じることなく報じる連中は、日本の戦時中の映画やフィルムを見たこともない不勉強な奴か、逆にそれを見ても何の想像力も湧かないほど感性の鈍い、ジャーナリストの風上にもおけない輩なんだろう。

 わたしのような敗戦直後に生まれた世代にとって、彼女たちの姿は自分の母親の姿に重なる「60年前の日本の現実」である。
 「この反民主的で、60年前の日本の現実でもあった大日本帝国を手本にしたような(金正日の)軍国主義体制は、歴史の屑籠に投げ捨てられるべきである」(本紙130号:9頁「誰が何をがまんするのか−拉致被害者が政治に翻弄されないために・・・−」)。
 「天皇の赤子(せきし)」としての忠誠を疑いもせず、「勤労奉仕」や「銃後の守り」に邁進した当時の日本の少女たちも、毎朝礼拝をする御真影(昭和天皇の写真)が雨ざらしにされることなど、考えられなかったに違いない。当時の日本の少女たちと今の北朝鮮の少女たちの違いは、忠誠の対象が「天皇陛下」か「将軍様」かだけだし、当時の日本人は植民地の支配者として御真影に対する礼拝を強要できただけである。
 北朝鮮の徹底した先軍(軍国)主義が、外国から見れば「異様な人間」を育成する「異様な体制」なのは事実だが、そこに存在する生身の人間を「人とは違う何か」に思わせ「交渉も不可能な異様な人々」と決めつけるイメージを助長する報道姿勢は、少なくとも北朝鮮に残されている拉致被害者の家族たちを早期に帰国させるには、百害あって一利もない愚行としか思えない。
 なぜ「愚行」なのかを考えるために、もうひとつ、軍国主義時代の日本の歴史を振り返ってみよう。

▼歴史に学ばぬ傲慢と無責任

 1941年12月、大日本帝国陸海軍が米英軍と戦闘状態に入ったのは、直接的には中国からの撤退に応じようとしない日本に対して、アメリカが石油輸出禁止という圧力を加えたからである。軍国主義・日本は、石油やゴムの軍事物資を確保すべく東南アジア諸国への侵略を決断し、その障害となる軍事拠点、アメリカ太平洋艦隊の母港・真珠湾とマラッカ海峡を扼すイギリス軍の要塞・シンガポールへの攻撃に踏み切ったのだ。
 この「日本の暴発」について、当時アメリカの予測は二分していた。「石油が欲しい日本は譲歩するだろう」という楽観と、「日本の戦争マシーンが作動するだろう」という悲観の2つである。そして楽観的予測の崩壊は一転して、日本に対する最も苛烈な戦争を正当化する口実となった。

 日米韓の対北朝鮮政策は「対話と圧力」で一致している。ただし韓国の廬武鉉政権が対話に重点があるのに対して、小泉とブッシュの重点は明らかに圧力にある。
 発電用石油の提供を打ち切り、日本からの送金を止め、北朝鮮船舶に対する突然の検査強化等々の対応は、アメリカと日本が歩調を合わせた圧力の強化だが、日本のそれは昨年10月の日朝正常化交渉から一貫して、「経済援助の欲しい北朝鮮は譲歩するだろう」という根拠のない楽観論に基づいている。だがこうした楽観的予測はことごとく外れ、そのたびに新たな圧力の必要が声高に叫ばれ、だが例によって小出しの、おずおずとした追加的圧力が採用されてきた。
 歴史の教訓から学ぶ者は、こうした事態の変遷の中に、かつて日本が追い詰められていく過程との類似を見いだす。しかも明快な見通しもなしに、国際社会に不信を強める小さな暴君(金正日)を追い詰めて挑発するに等しい小出しの圧力強化は、金正日に劣らぬ危険な賭け(チキンゲーム)である。
 たちの悪いことには、このゲームを支持する日本の政治家には、欧米の政治家ほどの覚悟、要するに戦争という行為の責任を取る決意も信念もないことだ。法律が出来た後で現地の情勢が悪化すると、途端に迷走する自衛隊のイラクへ派遣をめぐる政府の対応は、日本のタカ派たちが過激な、だが饒舌の徒であることを示す証拠である。
 現在の北朝鮮関連報道は、これら饒舌の徒にへつらい、危険な火遊びを無責任に扇動する「愚行」以外のなにものでもない。そしてその根底には、60年前の軍国・日本と今日の先軍国家・北朝鮮を二重写しにできない、歴史的想像力の貧困がある。

▼日本は「約束違反」を謝罪せよ

 一般的な意味で、外交交渉における「対話と圧力」に特別の意味はない。相互に様々な圧力を利用して有利な対話を追求する交渉術は、利害の対立する人間集団の成立以来使われてきた常套手段に過ぎない。
 だが金正日に核兵器開発を断念させ、拉致被害者の家族を日本に帰国させるという具体的目的を達成する手段が経済的政治的圧力の強化だと言うのは、すでに述べたように根拠のない楽観論であり、一転して日朝間の緊張を高める危険である。
 拉致問題での進展、とりわけ北朝鮮に残された被害者の家族を一日も早く帰国させるためには、昨年10月の「根拠のない楽観」に基づいた強気の交渉も以降の圧力外交も功奏しなかった事実に鑑みて、戦術転換が必要な時が来ている。被害者家族の帰国をめぐる膠着状況を打開するには、日本政府が圧力一辺倒の対応を転換すべきなのだ。

 「・・・・日本政府は、事実として『約束違反』になった(拉致被害者の)『一時帰国』に関する方針転換を共和国政府に謝罪して膠着状態の打開を図るべきであ」(前掲本紙)る。
 繰り返して言うが、「・・・(朝鮮民主主義人民)共和国の、政治革命を含む社会変革という課題と拉致事件の解明や被害者救済が不用意に混同され、(北朝鮮による)国家犯罪被害者の現状回復が日朝両国政府の思惑や、金正日体制打倒などの別個の政治目的に振り回されてはならない」(同前)。
 冷静に北朝鮮当局のシグナルを考慮するなら、拉致被害者の家族を日本に帰国させる意志があることはほぼ確実である。NGO「レインボーブリッジ」の小坂事務局長に家族の手紙を託したのも、手段が変則的でも「密使を使った意志の伝達」と言えるし、6者会談で非公式ながら「個別の懸案について対話の用意がある」という反応もそうである。いずれにしろ北朝鮮当局にとって、自らの国家犯罪を認めて謝罪してしまった拉致事件(もちろん全てではないが)に関して、被害者家族を人質にしてこれを「効果的圧力」に利用できる余地はほとんどない。
 問題は「将軍様」の面子であり、日本政府との「信頼関係」である。北朝鮮当局が「日本政府の約束違反」に改めて言及し、それを無視する日本政府の言動があれば「拉致問題は解決済み」と態度を硬化させるのは、「約束違反」に対する日本政府の対応が核心問題であることを示唆している。

 国家犯罪と被害者の人権回復の原則で譲歩する必要はない。だが外交交渉上の「信頼関係」を反故にしたツケは支払う必要がある。それができてはじめて日本政府は、中国や韓国による拉致事件に関する支援や支持を期待することができるのである。

(さとう・ひでみ)


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