●あえなく頓挫した自民党の内紛●
戦略的敗北を準備する、主流派の戦術的な勝利
政党再編の圧力・自民党主流派のジレンマ


ナイーブな期待の挫折

 11月10日、森派会長の小泉元厚相との会談を終えた加藤元幹事長が、記者の質問に答えて「国民の75%が支持しない内閣を、すんなり支持すべきか考えなければいけない」と、森内閣不信任案が提出された場合これに同調する可能性について言及し、同日夜には、山崎元政調会長が加藤を支持すると表明したことで幕を開けた自民党の内紛は、不信任決議案が提出された21日になって、自民党主流派の激しい切り崩しや除名処分の恫喝のために分裂状態に陥った加藤派(=宏池会)が、衆院本会議での不信任案賛成投票から本会議の欠席へと戦術ダウンを決め、あっけなく10日間の幕を閉じた。
 加藤、山崎両派の同調を当て込んで民主、共産、自由、社民の野党4党が提出した内閣不信任決議案は、賛成190、反対237、欠席・棄権52の大差で否決され、マスコミを大いににぎわした「加藤の乱」=自民党の内紛はとりあえず収拾された。
 この不信任決議案の否決をうけて、森首相は来年1月から実施される中央省庁再編にむけた内閣改造を行い、12月5日には、大蔵大臣の宮沢元首相の留任とあわせ、党内最大派閥である経世会会長の橋本元首相を行政改革特命大臣ならびに沖縄・北方対策担当に任命するなど、党内の派閥やグループを代表するいわゆる「大物」を多数起用した第二次森連立内閣を発足させた。
 支持率の低迷に悩まされる森連立政権の基盤は、加藤・山崎両派の反乱のあえない挫折によって、「当面は」という限定つきながらむしろ強化されることになった。なぜなら党内主流派内部にもくすぶりつづけてきた森への退陣要求は、不信任案の否決という国会のお墨付きを得たことで、言い換えるなら経世会を中心とした党内主流派自らがそのお墨付きを森に与えた結果として、大義名分を失なったからである。
 だがこうして、森政権に対する与党内外を貫く不人気という形で現れている、政治の行き詰まりを要因とする政党再編の圧力は、自民党の「ガス抜き」機能の低下も手伝って内向し、むしろ一挙に噴出する可能性を逆に高めることにもなった。自民党主流派が、「反乱」の首謀者である加藤や山崎に懲戒処分を発動することもなく、むしろさかんに今後の党内融和を強調するのは、自民党の分裂をはらむ政党再編の圧力を少しでも緩和したいという願望の現れである。

加藤の脆弱さの本質

 加藤・山崎両派の反乱の挫折は、森連立政権の崩壊と自民党の分裂、そして政党再編の幕開けを告げる解散総選挙と与野党逆転という、93年の政界再編と二重写しになる展開を期待した人々を大いに失望させ、マスコミもこぞって加藤の腰砕けや優柔不断を責め立てた。もちろんそうした期待が素朴に過ぎたことや、93年の政界再編がどんな結末を迎えたかは棚に上げて、である。
 たしかに加藤の反乱は、党内抗争の激しさを熟考したとは思えないほど稚拙なものであり、だからまた「伝統ある宏池会を守れ」などという古参議員たちの逆反乱に足元をすくわれる醜態を演じ、政治利権の分捕り合戦で鍛えられケンカ慣れした経世会の猛者たちと渡り合うには、まったくひ弱であることを暴露したのは明らかである。
 だがそれは、加藤個人の政治家としてのひ弱さという以上に、「有能な官僚」あがりの議員集団ながら党内では「お公家様」などと揶揄される宏池会の、いわば派閥としての衰退が色濃く映し出されていた。
 たしかに宏池会は、池田勇人や佐藤栄作などの歴代首相を輩出し、戦後日本の高度経済成長政策を指導した「由緒正しい伝統」をもつ政策集団的派閥ではある。だがそれも「ニクソンショック」(1971年8月のドル兌換停止発表と、翌72年2月のニクソン訪中による米中平和共存への転換)を契機に、戦後の資本主義世界で、日本も新たな帝国主義的支柱としての役割を要請されはじめるまでの、過去の栄光に過ぎない。
 むしろ70年代以降の新しい時代に対応した自民党は、庶民宰相・田中角栄の登場に象徴されていた。それは日本列島改造を標榜し、土木建築に偏重した大規模公共事業を牽引車にして80年代後半のバブル経済に至る、金融財政の積極的拡大政策の展開と、これに伴う巨額の政治利権を業界ごとの集票組織に配分する、いま無党派層に嫌悪されている「自民党政治」の全面展開であった。そしてこの、政治理念にもとづく近代的政党というよりは、「システム化された利権配分機構」と化した自民党の主流派は一貫して田中−竹下派、つまり今日の経世会であった。
 宏池会の前会長である宮沢が、文字通り経世会に頭を下げて念願の首相に就任し、だからまた経世会の分裂(新生党の結成)のあおりで不信任(93年6月)の憂き目をみたことでも明らかなように、この転換と再編の過程で宏池会は、経世会という70年代以降の主流派との協調なしには、つまり独力では自民党主流派になり得ない派閥に転落したと言える。宏池会の古参議員たちが加藤に公然と反旗を翻したのは、この派閥実態にこそ根拠があったのであり、しかもその口実に「共産党と与するのは宏池会の伝統に反する」などという干からびた反共主義を持ち出すに至っては、この派閥の政治的命脈がすでに枯渇していることの証しであろう。
 そのうえ宏池会は、国家による経済への積極的介入が必要だという、官僚出身者の伝統をもつ派閥ならではの、そしてまた経世会と通底する本質的な理念に照らして、自民党を離党しても連携すべき野党勢力を見いだすことは、現状では困難であろう。離党後の展望=戦略がなければ、自らの行動に確信が持てなくて当然なのだ。だが山崎派の方は、その新保守主義的理念や経済政策からして、離党後に小沢の自由党と連携するのはいわば規定の路線であり、将来的には組織合同の可能性すら展望できた。
 山崎派19人の衆院議員中17人が離党も覚悟した結束を維持したのに対して、宏池会45人の衆院議員は次々と主流派に切り崩され、加藤と最後まで行動を共にすると表明したのは半数にも満たない21人に過ぎなかったのは、加藤、山崎両派の、戦略的展望に裏付けられた政治的確信の差だったのだ。

自民主流派のジレンマ

 こうした宏池会の実情に、加藤がまったく無頓着だったとは思えない。むしろ加藤は、派閥の現状からして「党内改革」を追求しようとしたのだろうが、思わぬ圧力によって情勢の前面に押し出され、結果として人々の素朴に過ぎた期待を裏切って非難を浴びることになったのだ。「思わぬ圧力」とは、短期間のうちに10万件とも言われる、加藤のホームページへのアクセスと、そこに込められた激励、憤激、期待等々の「国民世論」の噴出である。
 談合政治が平然とまかり通る今日の議会政治から疎外され、無力化されて政治不信を強めていた無党派大衆が、加藤が紹介したホームページでの支持や激励を知って、インターネットを通じて政治に直接的に参画できる可能性を見い出したのである。加藤はこの圧力に押され、本会議欠席の可能性から不信任案賛成へと戦術をエスカレートさせるのだが、自らが率いる派閥の旧態依然とこうした大衆的反響の間には、越え難い深い溝が口を開けていたのだ。
 多くの無党派大衆が、党内改革をめぐる自民党の内紛にすら素朴に期待し、これを一挙に政党再編をはらむ政局の焦点にまで押し上げたことは、政党再編を促す巨大な圧力が、議会政治と社会的要請の、大きくなりつづけるギャップから生じていることを誰の目にも明らかにした。
 と同時に70年代以降の自民党主流派が、政権党であり続けることによってだけ維持される自らの権力構造を防衛するために、野党であれ反主流派であれこれに対する挑戦を退ける戦術的勝利を手にすることが、実は自らの社会的基盤の衰退を促進する、言い換えれば戦略的な打撃と後退を余儀なくされるというパラドックス(逆説)も、この自民党の内紛で明らかになった。
 それは党内反乱が鎮圧されつつあった11月19日の栃木県知事選で、長野県知事選と同様に共産党を除く全政党の推薦を受けた現職知事が、いわゆる「風が吹いた」状況ではなかったにもかかわらず、政党の支援を全く受けない、人口6万人の小さな地方都市の市長であった新人候補に、僅差ながら敗退したことに典型的に現れた。
 政権をめぐる攻防で勝利しつつあった議会内の多数派が、選挙という社会的評価では少数派に転落しつつあることを象徴する栃木県知事選の結果は、現在の議会内多数派の戦術的勝利が戦略的敗北を準備するというパラドックスそのものであろう。
 議会内での与野党対決や自民党内派閥抗争における自民党主流派の圧倒的勝利にもかかわらず、その勝利自身が、次の国政選挙での敗北にますます現実味を与える事態は、政権党として政治利権を掌握することを最大の求心力とする経世会をして、強い危機感を抱かせて当然である。
 元公明党委員長である矢野は、21日の「ニュース23」(TBS/TV)で、自公保連立政権にとっての「最良の選択」は、むしろ加藤を次期首相候補として温存し、あるいは反乱に乗じて森と加藤をすげ替えるという選択ではなかったかと意味深長な見解を明らかにしたが、それはおそらく矢野自身が、そうした自公保政権の将来像を他ならぬ自民党主流派の密かな願望として聞かされ、あるいは連立与党たる公明党もまた、森政権との心中を回避する「軟着陸」を模索している実情を知っての発言であろう。
 だが森政権の生みの親に他ならない自民党主流派にとって、自浄作用や自己変革能力の代用品となるべき「懐の深さ」を機能させる余裕は、ますます失われつつあるように見える。それは結局、経世会を70年代以降の主流派たらしめてきた族議員たちが依拠する選挙基盤そのものが、徹底的にシステム化された業界や地域ボスを介した政治利権の配分に深く依存することで硬直化してかつての「柔軟性」すら失い、グローバリゼーションが日本社会に強制する産業や社会再編の要請との軋轢を強め、結果として解決不能のジレンマに陥っていることの現れである。
 いずれにしろ、70年代以降の日本資本主義の繁栄を築いた「自民党政治」の再編は、日本資本主義の延命にとっても、いまや焦眉の課題となった。それは自民党の「核」に分裂を強いる政党再編の圧力が、今後も高まることはあっても弱まることはないことを教えている。

   (さとう・ひでみ)


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