銀行国有化と長期不況の構図

ふたつの危機に挟撃された金融政策の動揺

(第94号:98年11月号掲載)


民営化から国有化へ

 10月16日、金融機能早期健全化緊急措置法案が参院で可決され、12日に成立した金融再生関連8法とあわせて、深刻さを増す金融不安に対する法的な対応策が、かなりあやふやなものとしてだが、とりあえず整えられることになった。そしてこの法的枠組みが整うのを待ちかねたように10月23日の朝、日本長期信用銀行は東京株式市場の開場前に、金融再生法に沿った「特別公的管理」、つまり一時的とはいえ国有銀行とするよう求める申請を金融監督庁に提出、小渕首相は午前中のうちに、全株式を国が強制的に買い上げる特別公的管理の決定を行った。
 金融再生法によれば長銀はこの後、国が指名した新経営陣の下で再建に取り組み、3年以内に新たな経営主体に売り渡されて民間銀行に戻るか、再建が不可能な場合は解体・整理されて消滅することになる。こうした銀行国有化は、連鎖倒産や金融収縮を回避するために必要な措置とされているが、長銀ひとつに投入される「公的資金」だけでも1兆円以上とも言われ、当面は財政投融資などの資金がこれに当てられるとしても、3年後の売却ができなければ(そしてそれはほとんど確実にそうなると考えられているが)税金での穴埋めは避けがたい。
 しかしわれわれがそれ以上に注目しなければならないのは、橋本政権下で推進されてきた「民営化による規制緩和と自由化」を看板にした構造改革や行財政改革の掛け声が、一転して大手金融資本の国有化や巨額の財政出動による不況対策の必要に変わり、それはいまや「国民的要求」として喧伝され、100兆円にものぼる莫大な国家資金が財政赤字を考慮することもなく、いや正確には将来へのツケ回しには目をつぶって散財されはじめたことである。そのうえこの金融政策のジグザグは、民営化や規制緩和一辺倒の「改革」なるもののどこが間違いでどこに欠陥があり、だからまたどのような見直しや手直しが必要なのかと言った、それこそいま流行の「説明責任」すら、まったく無視して行われていることである。原因の解明すらないがしろにした〃転換〃は、同様の間違いや動揺を繰り返すことになるに違いない。

過剰生産による不況

 今日、日本資本主義を覆う戦後最悪と言われる不況は、一般には不良債権というバブルのツケの処理が遅れ、それが「貸し渋り」という金融収縮を深刻化させたこと、加えて政策的錯誤つまり必要な金融財政政策が景気の動向に逆行する悪手だった「政策不況」だと説明されている。だから不良債権処理がすすみ、政府が景気刺激策に転換すれば、不況は克服されるはずだと言うものである。「消費の低迷」が原因なのだから消費の回復が必要との主張も、設備投資牽引型ではなく消費牽引型の景気回復を図れという以上のものではなく、あえて大胆に言えば、サプライサイド政策つまり供給側を重視する新自由主義か、デマンドサイド政策つまり需要側を重視するケインズ主義かの違い(もちろん大きな違いではあるが)に過ぎず、それは消費が拡大すれば設備投資も増加するという意味では、ニワトリとタマゴの論争にすら似ている。しかも消費低迷の原因となると、政策が悪い、不良債権がネックだなどと堂々巡りになって、一向にらちが明かない。
 しかし最近になってようやく、過剰生産もしくは「需要不足」を不況の原因とみなす論調が現れはじめた。今日の不況は、自動車や家電といった、戦後資本主義の高い経済成長を牽引してきた製造業部門で、その巨大な生産能力の為に過剰生産に陥っているのが不況の原因であるという主張である。金融バブルと言われたアメリカ経済も、実は製造業部門とくにパソコン(PC)関連業種での好調な設備投資の拡大があり、それが停滞しはじめところにアジアとロシアの通貨危機が追い打ちをかけたと指摘されており、日本経済もまたアジア通貨危機を契機に、日系資本のアジア生産拠点の輸出が激減し、かろうじて景気の下支えをしてきた日本独占資本の輸出が低迷しはじめたことが景気の更なる悪化を招いたとも言われている。過剰生産状態は、当然ながら製造業部門への生産的投資に対する利潤率を低下させるが、その結果として膨大な余剰資金は、高い利潤率を求めてますます投機的になる金融市場に流れ込むことになり、それが金融自由化という条件の下で世界中を駆け巡り、各地で金融危機を引き起こし、実態経済に打撃を与える。

利潤率の低下と搾取率

 ところで、過剰生産による不況がこれほどの長期に及んでいるとすれば、産業資本が国際的な競争力を維持しつつその利潤率の低下に対処する方法は、労働生産性の向上か賃金抑制による労働コストの削減によって搾取率を引き上げることである。だが日本的経営の下での生産性向上は、円高不況と言われた時期にすでに相当のレベルまで、過労死を国際語にまでしたという意味では極限と言えるまで実施されており、いよいよ〃最後の手段〃たる労働条件の切り下げが、本格的に資本の課題となりはじめていると言える。労基法の改悪によって野放しになる裁量労働制の拡大は、残業の概念を破壊して長時間労働にかかわる割増賃金という労働コストを削減し、次期国会で審議される労働者派遣法の改悪は、雇用に対する資本の責任を大幅に軽減して雇用にかかわる企業内福利のコストを大きく削減することを可能にするものである。
 だが他方では、こうした資本による一連の「改革」は、円高不況を「克服した」日本的経営の強さ、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで称賛された日本的経営の秘訣でもあった「労資安定帯」つまり「企業忠誠心の調達基盤」を破壊し、国際標準(グローバルスタンダード)に準じた競争に、日本の独占資本が全面的に順応することでもある。しかもそれは、バブル景気下での最強の資本主義・日本という幻想のために、アメリカやイギリスで吹き荒れた労働運動への攻撃や弱小資本の淘汰といった、資本にとっての「改革」を先送りしてきたあげくに、最悪の不況の最中に実行されようとしている。「バブルのツケ」と呼ばれるべき日本資本主義の立ち遅れは、実はここにある。
 結果として日本資本主義は、その「強さの秘訣」を破壊しつつ、新自由主義にもとづくグローバル経済の危機に直面するという二重の危機への対応を迫られ、政策的なジグザグに追い込まれつつある。 

 (ふじき・れい)


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