日常を動員する戦争協力体制

周辺有事事態法案とたたかう安保批判の新たな視点を

(第94号:98年11月号掲載)


内実は戦争権限法

 9月の臨時国会の開会以降、その動静に注目していた。ひとつは「公的資金導入」に関する『金融措置法』と関連諸法案。ふたつめは『労働基準法』の改悪。みっつはめ日米ガイドラインを実態化する『周辺事態法』と関連諸法案の審議の動向である。
 周知のように「公的資金導入」をめぐっては、締まりのない論議のあげく与野党談合による中途半端な決着となり、労働基準法「改正案」もまた、9月25日の参議院本会議において与野党の談合により修正可決した。一方「周辺事態措置法案」を軸とした日米ガイドラインに関わる諸法案の審議は、前者の審議の遅滞により提出に止まっている。今後の日本を方向づける重要な政治決定がこの時期に集中した。
 今、人々の関心は経済不況の問題に向けられているが、北朝鮮の人工衛星(ミサイル)が日本上空を通過し太平洋上に落下する事態で、にわかに軍拡論議が活発になった。しかし一方では、国会の最中に防衛庁の装備調達にまつわる疑獄事件が明らかになり、この逆風もあって「周辺事態措置法案」と関連法案の審議見通しはたっていない。だが、これは時間の問題である。
 ところで、「周辺事態措置法案」の内容とそれが導き出す状況は、今後の日本人民の生活と生命を戦争体制に組み込む性格を持つ。それは昨年9月24日に発表された日米ガイドライン合意文書の具体化であり、言い換えれば「国家総動員法」である。『世界』7月号(岩波書店)で、辺見庸氏と前田哲男氏が「『周辺事態』という妖怪」という対談を行っているが、その中で辺見氏は、このガイドライン合意文書そのものについて「全体がひどい悪文で『周辺事態』は言語にすらなっていない。・・・・これは一般概念であって、特定の何かを指示していません。・・・・英文テキストのほうがずっと明示性が強い。おそらく日本側の作為があるにちがいない。・・・・安保体制自体が、特に湾岸戦争以降、もっぱら米国のためのシステムにシフトしてきている。米国のいまの軍事戦略は、機動性、移動性のある、地理的には世界にわたるもの」「『敵』を曖昧にしておくことで、さしあたりの主体、つまり日本側の責任を隠すという作用。これは旧安保以来の日米間の戦略的な取決めの中でも、極めて特殊かつ、強引なもの」と指摘している。
 また前田氏は、「周辺事態措置法というのは、地域戦争対処法、あるいは戦争権限法と言うべき法律です。言葉の置き換えで何がなんだかわからないようにしていく」「ガイドラインに示される具体的な対処行動は、明らかにアジアにおける地域紛争を新たな冷戦後の脅威としてアメリカが認定し、安保をその方向に向けようという意思表示であることは明らか」と、その実体的性格を的確に表現している。

動員される生活と労働

 日本政府がこの法案の本質を隠す理由は、憲法に反する「米国との軍事協力」を進めなければならない矛盾を隠すためである。日米安保体制の質を転換させたことをカムフラージュする意図があったのは明かである。その上で「周辺事態法案」は、国家総動員体制の性格をはっきりと示している。あらゆる事態に対応した「人とモノの動き」を引き出し、日本人民の日常的な生活・労働を戦争への「協力」に変えてしまうのである。それは病院、港湾、民間飛行場、自治体など、さまざまな場面で労働者が「協力」を強制され、同時に生活が制限される。そこでは自治体と労働組合の協力が必要にもなる。
 軍事的な使用が最初に求められる民間施設は、おそらく飛行場と港湾である。したがって海員組合が、第二次世界大戦での輸送業務による多大な犠牲を出した経験を踏まえ、今回の法案に最も鮮明に反対しているのは全く当然のことである。ところが「連合」が、ナショナルセンターとしてこの法案に反対する動きは見られない。
 だが今回の「周辺事態法案」の特徴は、自衛隊法の改正とACSA改定をセットにしたことを含めて、PKO協力法の改正による武器使用基準の緩和、あるいは組織暴力対策法の制定や住民基本台帳の不当な利用、そして労基法の改悪が連動されている、まさに全てを飲み込むブラックホールのような法案群なのである。例えば自衛隊機は米軍のように異常な低空飛行訓練はできないが、米軍機は安保特例法により制限を受けない。また現行土地収用法では自衛隊基地用地の強制収用はできないが、沖縄に対する土地収用法特別措置法の無期限の延長は基本的には全国に適用されうるものであり、ガイドラインに新たな施設および区域の提供という、新しい基地の提供の一節が入っている以上、その延長上に日米共同使用の基地の新たな設置は現実化するのである。自衛隊の権限拡大が、一行の附則で可能となる。
 加えて労基法の改悪がほとんど無制限の長時間労働すら可能にしたことを考え合わせれば、軍事協力に反対する労働者・労働組合への抑圧と言う事態すら見えてくる。

安保批判の新たな視点を

 ところで、今回の新ガイドラインと「周辺事態法」がもたらす住民生活への影響は、なかなか見えにくいものである。しかし沖縄のひとびとが現に抱える基地との背中合わせの生活は、まさに「周辺事態法」発動下のわれわれの生活なのである。日米安保条約のもと、具体的には『日米地位協定』に規定された軍事優先の生活を余儀なくされるという事態は、「少女暴行事件」という衝撃的な事件だけでなく、多くの人権侵害の発生を予測させるに十分である。基地のためにねじ曲げられるライフライン、道路の交通規制やら無制限な騒音の撒き散らし、大量のごみ処理の負担、いつ起きても不思議ではない事故など枚挙にいとまはない。そしてこれは「戦時」ではなく「平時」なのである。先日沖縄で起きた米兵の女子校生轢き逃げ事件は、『日米地位協定』が抱える矛盾を再度われわれに突きつけたのである。
 たしかに新ガイドラインに反対する運動は、共産党、新社会党、新左翼を中心に全国各地で闘われている。だがそれは、労働者や地域住民の大衆的な運動にはなっていない。これは、意識的な報道がほとんどなされておらず、経済記事や社会不安を異常にあおる少年事件や毒物事件がその主流になっているメディアの責任も大きい。しかし反対運動が全国的で大衆的なものにならない理由は、運動自身の中にもあるのではないか。端的に言えば、冷戦構造下の従来の運動のスタイルから抜け出ていないという問題である。
 われわれが目指す方向をいくつか提示してみたい。その第一は、不況・失業に苦しむ日本人民に新たな負担を強いる、多大な国家予算の支出への批判である。財政構造改革で自衛隊予算は切り詰められる一方で、日本は米国の世界戦略のために、ガイドラインの関係では例外として多大な予算を基地の機能強化や新たな施設づくりに費やし、「思いやり予算」の際限ない支出をすることになる。1兆円もの支出を伴う沖縄の新ヘリポート構想はその先取りだったのであり、これに防衛庁の汚職問題つまり防衛産業利権の問題が結びついていることを、具体的な運動を通じて明らかにすることである。
 したがって第二は、不況と雇用不安にのみ焦点が当てられ、安保問題への批判力が後退している状況下で、安易に出てくる軍需産業の拡大の方向への批判を準備することである。日本の最新技術を米国が最大限に利用しようとしていることを明らかにしながら、現在の雇用不安を打開し新たな雇用を創出する道は、企業防衛の観点でなく、雇用拡大の労働時間短縮や産業構造の改変による道にあることを示す、そうした批判的視点が準備されなければならないだろう。
 さらに第三に、「アメリカに対する公約と安保再定義とよばれる一連の過程は、すべて国会不関与、政府と総理大臣個人への権限集中、対米公約という既成事実の流れをつくって、結果として法律になっている」(前掲:前田氏)ことを踏まえ、徹底的な「情報の公開」を政府・地方自治体に要求する運動を提起することであろう。論議のないまま政党間の談合で事態が決定されていく方向が見えるいま、これを強く牽制する運動としても「情報公開」は有効だろう。
 そして第四に、その上に反原発やごみ処分場反対の住民運動が、なによりも沖縄の人びとが示したような、地方自治体での条例づくりや住民投票(ガイドライン非協力自治体宣言)という闘い方ができよう。労働組合でも、ガイドラインに従った業務が要請されたときに業務命令を出さないという労働協約を結ばせるなど、多彩なの抵抗運動も今がチャンスとも言えるのである。
 これらの点を基本に運動を構築することが次の展開において重要と考えられる。

  (たかなし・としみ)


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