自自公連立と民主党の再編
漂流する諸政党と、公明・共産両党の小社会


実現しない二大政党制

 自民党総裁選挙と民主党代表選挙が、マスコミを賑わせている。その焦点はもちろん、誰が党首に選出されるかではない。自民党では小渕の再選が、民主党でも鳩山の当選が確実視されており、この予測が覆る可能性は全くないのだから当然である。だからマスコミの興味も、自民党総裁選では加藤前幹事長の小渕政権批判で浮上した自自公連立をめぐる論争であり、民主党でも鳩山の改憲支持表明で浮上した改憲問題を中心に、旧自民党系議員団と旧社会党系議員団への「分裂」に集中している。何故ならこの2つの論点は、自民党と民主党を貫く再編、つまり自民・民主二大政党制構想の終焉と新たな政党再編を予測させるからである。
 しかしこの予測される政治再編が、現実に進んでいる金融・産業再編にどう対応し、日本資本主義がすすむべき将来展望とどう結びつくのかは、もちろん全く示されない。なぜならこれらの諸政党は、社会再編のなかで自らの支持基盤を見失っているだけでなく、戦後日本の保守政治の一貫した政治手法である利益誘導の経済的土台が、グローバリズムの波に押し流されはじめたからである。「政治改革」バーゲンを売り物に、再編よりも野合的な合従連衡が次々と新党を「新装開店」させたものの、細川政権の崩壊以来繰り返された「政治改革」への幻想の崩壊が、結局は政治不信を助長して膨大な無党派層を生み出すことになったのは、社会再編に取り残された諸政党が、いまなお旧態依然たる議会政治の手法以外のものを、ほとんど見いだしていないためなのである。

自公連立政権の基盤

 予測される今回の政党再編も、その意味では社会再編の海を漂流しつづける以外にはないが、その中で自民党が追求する自自公連立は、いかなる意味をもつだろうか。
 実は小渕が連携に固執した公明党は、自民、自由、民主、社民各党の支持率低迷とは対照的に、安定した支持率と議会勢力を保持している貴重な保守政党である。諸政党がその支持基盤の分散化と衰退に悩まされる中で、こうした安定した支持基盤を保持しているのは、公明党以外では共産党だけである。その共産党は、野党各党の不甲斐なさに幻滅した一部の反自民票の受け皿にさえなっているのだが、この2つの政党が安定的な議会勢力でありつづけている秘密は、実は共産党には全労連や共産党系諸団体という、公明党には創価学会という、その内部生活にのみ通用する独特の規律と秩序にしたがって囲い込まれた「小社会」が、強固な政治基盤として維持されていることにある。
 代議制民主主義という制度の下では、議会政党は何らかの社会的勢力と結びつき、その勢力の利害を代行することで政治的支持を調達する。他の諸政党がそうした社会的勢力の分散化に直面したのに対して、公明党と共産党はこの小社会を支持基盤に、安定した支持率を維持してきたのである。もちろんこの宗派的な小社会という大海の小島は、この2つの政党の強固ではあるが社会的基盤の矮小さを示すものであり、それはまたいづれかのブルジョア政党との連立なしには、絶対に政権には到達できないという議会政党としての限界を物語っている。
 つまり自自公連立政権とは、安定した議会勢力たる公明党との提携を軸に、社会再編の中で衰退の著しい保守的な社会的基盤を補完する勢力を無節操に抱き込み、政治利権を支配できる政権にとどまりつづけることを最大の求心力とする政権であり、宗派的小社会の代弁政党である公明党は、不況であればこそますます声高に現世利益を要求する創価学会の圧力に押されるように政治利権に接近し、同時に政党としての存続をかけた中選挙区制の復活を願望して、自民党との連立を決断したとしても不思議はない。しかし結果として成立する自自公連立政権とは、理念はどうあれ、政治利権を独占する政権政党でありつづけることを最大の求心力とする戦後日本の保守政治の延命に他ならず、あえて言えばグローバリズムに対応した日本資本主義の社会再編に背を向ける、旧態依然たる保守政治の堅持なのである。
 こうして、アメリカの民主・共和二大政党制をモデルに、「政権交代可能な保守二大政党制の実現」を一枚看板に始められた「政治改革」と「政党再編」は、グローバリズムに対応しようとする日本の社会再編の急進展に足元をすくわれ、旧態依然たる戦後保守政治を温存した一方で、政権交代可能な保守政党の社会的基盤を見いだせないまま、惨めな失敗に帰したのである。

JC派の挫折と民主党の漂流

 そもそも戦後アメリカ議会政治の特徴となった民主・共和のブルジョア二大政党制は、1930年代に台頭した戦闘的労働組合である産別会議(CIO)を、フォーディズム資本主義の強力な経済的発展を土台にして、民主党というブルジョア政党の基盤へと取り込むことによって成立した。ヨーロッパ資本主義の階級対立を超越し、ブルジョア二大政党が「中産階級」の支持をめぐって争うというアメリカ議会政治のスタイルは、フォーディズム資本主義の発展にその基礎があった。
 だから「階級闘争至上主義」と総評労働運動を非難し、社会党の解体を積極的に推進したJC派が、アメリカ民主党の模倣と言える「リベラル新党」や、連合という労働組合勢力に直接立脚する「連合新党」の結成まで画策したのは、フォーディズムを積極的に模倣した戦後日本の基幹産業で成長し勢力であってみれば、当然のことだったのである。
 しかし連合・JC派の期待と展望は、フォーディズム資本主義の危機の発展と、新古典派経済学を旗印にしたグローバリズムの台頭によって、その基盤を失い始めた。階級対立を超越する強力な中産階級形成の夢は、日本資本主義の歴史的転換をはらむ社会再編の波に飲み込まれた。リベラルな保守政党を標榜した民主党の漂流は、このフォーディズム資本主義の危機と、それによるJC派の政治的展望の喪失を根拠にしている。
 したがって今回の民主党の再編劇も、一時的な「鳩山ブーム」といった、新しいブームを演出しうるだけであろう。だが諸政党の支持率の低迷が持続し、無党派層が拡大しつづけている現実は、そのブームの誕生すら危ういと考えるに十分である。

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