新自由主義と対決する労働運動の背景と意義@
リストラ・雇用破壊NO! 共同アピールで集会


 3月21日、東京の日暮里サニーホールで、「リストラ・雇用破壊NO!失業に立ち向かう共同アピール集会」が、中小労組政策ネットワーク(中小ネット)に結集する先進的な中小民間労働組合が中心となった、同集会実行委員会の主催で開催された。
 中小ネット共同代表の中岡基明・全国一般全国協委員長の主催者あいさつにつづいて、民主党の金田誠一衆院議員、社民党の保坂展人衆院議員などの国会議員と、全労協の藤崎良三議長、全労連の寺間誠治労働・調査政策局長などがつぎつぎと来賓のあいさつにたち、それぞれ「互いの垣根を低くして力を合わせて中小労働運動の前進を」(藤崎議長)、「共に闘う基盤ができつつある。共に建設的で攻勢的な労働者保護法をつくろう」(寺間局長)、「ILOの国際基準が日本でも当たり前になるように、国会を包囲しよう」(保坂議員)などと訴えた。
 この集会をかわきりに、北は北海道・稚内から、南は九州・鹿児島から、リストラ・雇用破壊に反対する全国キャラバンが展開されたのだが、このキャラバン行動を積極的に支えともに担う国労闘争団が、昨年11月に出されたILOの中間勧告の履行を政府にせまるスーガンを掲げているように、グローバリズムへの対応の名目で強行されるリストラ・雇用破壊との闘いは、いまや官民そして大手・中小の垣根を越えて、国際労働運動総体にとって共通の、そして最大の焦点というべき闘いとなっているといって過言ではない。
 3・21集会での主催者そして来賓のあいさつは、そうした課題のそれぞれの側面を鋭く指摘するものだった。

雇用破壊との国際的闘い

 国際自由労連(ICFTU)は今年、アフリカで開催した国際大会で、グローバリズムという資本の自由な移動にともなう労働基本権の破壊との闘いを、きわめて重要な課題として提起し、いわゆる「中核的労働基準」の遵守を、国際的な投資協定や自由貿易協定に、最重要の原則として組み込むように要求していく闘いの継続と強化を確認した。
 戦後資本主義による大量生産と大量消費が、まだ各国の(もちろん先進工業国に限られていたとはいえ)労働者大衆の生活向上を実現していたころは、ICFTUの掲げる労働基本権は、ある意味では一部の豊かな国々の労働者の「特権」であり、「自由貿易」に対する労働組合の反対は、この特権を防衛するための保護主義的色彩を色濃くもっていたのはたしかである。
 だがいまや、世界を駆けめぐる多国籍資本は、労働者の生活向上に結びつくような生産的投資をしぶり、ただただより高い利潤率を追い求めて金融投機の全面的な自由化を要求し、各国の労働者保護法制や中小資本の保護法制など、あらゆる投機的行為の規制の廃止を声高にもとめつづけている。そして実際にヨーロッパ共同体(EU)にしろ北米自由貿易協定(NAFTA)にしろ、結果としてもたらされたのは、先進工業国での産業空洞化と大量失業であり、発展途上国での中小資本や家族経営の大量の破産とプロレタリアートへの没落いう事態であった。労働基本権はこれにともなってますます無視され、先進国と途上国を貫く労働者の「底辺に向かっての競争」という事態が蔓延しはじめた。
 こうして国際的なブルジョア潮流の両極分解が、ひとつは世界に弱肉強食の野蛮を押しつけ、資本の利潤率を引き上げようとする新自由主義の傾向と、他方には、改めて労働者大衆を「豊かな市場として育成する」ことで、調和のとれた新たな資本主義の発展をめざすべきだとする古き良きリベラリズムの傾向への分解がはじまったのである。そして言うまでもなくICFTUは、後者の傾向を表現しているのである。

グローバリズムと闘う協働へ

 連合の結成と総評の解体以降の、連合、全労連、全労協という労働者階級の分裂状態の固定化が、新たな流動化に直面しはじめているのは、こうした国際的なブルジョア潮流の分解と連動している。
 それは、国鉄の分割民営化が強行された80年代後半には、厳しい社会的な孤立を強いられた国労や全動労の国家的不当労働行為を告発する闘いが、いまでは国際運輸労連(ITF)の全面的な支援をえて、日本政府の条約違反を強く示唆するILO中間勧告を勝ち取ったことに象徴的にしめされている。
 リストラ・雇用破壊NO!の共同アピール運動は、「世界の非常識」と揶揄されたJC派イニシアチブの労働運動の限界をあばくとともに、こうした国際的な今日的流れにつらなる、日本労働運動の新たな潮流の可能性である。
 北海道と九州からはじまった全国キャラバンが、各地でリストラ反対のキャンペーンを展開したことは、それがただちに目に見える大衆的な共感を呼び起こさないとしても、ますます深刻にならざるをえない労働基本権や基本的人権の侵害のなかで、労働者大衆のなかに確実に共鳴板をみいだすことになることは疑いがない。
 そしてこうした大衆的共感が連合、全労連、全労協を貫いて静かに深く進行していくことが、日本の労働運動の再生の基盤を準備することになるだろう。   

(K)


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