時代錯誤は談合政治だ!
利権政治と代行主義の危機、労働者民衆の消極的選択


時代錯誤と民主主義

 6月2日衆院解散、同13日告示、25日が投票日という総選挙日程が決まり、各地でも事実上の選挙戦がはじまった。
 ことあるごとに「衆院解散は総理大臣の専権事項」とくり返す与党幹部たちのたてまえとは裏腹に、国会対策にたずさわる与党幹部たちの談合によって新内閣の首相に就任することになった森喜朗新首相の解散権行使は、同様の自公保与党幹部たちの談合によって事実上決められた。
 この日程が確実になったことで、民主、共産、社民の野党3党は森の「神の国」発言への批判を集中し、森の退陣と内閣総辞職を強硬に要求、自由党を含む4党で内閣不信任決議案を共同して提出することを確認するにいたった。総選挙を目前に控えた野党各党が、政府与党との対決姿勢を一段と強めて森への集中攻撃をするのは、もちろん選挙戦術としては理解できる。
 しかし5月中旬の神道議員懇談会での森首相の「日本は天皇を中心とした神の国」という発言にばかりが焦点化する国会論議とマスコミ報道は、日本政治が直面する社会的諸課題との関係では、労働者民衆の大衆的心情、つまり急ピッチですすむ日本の社会再編によって醸成されている労働者民衆の大衆的な不安や不満とは必ずしも一致しない、いわば永田町的な「コップの中の嵐」の印象をぬぐえない。
 たしかに森のこの発言は、重大な問題ではある。だがもともと「失言」癖のある森発言への大衆的反発は、それが国家神道をほうふつとさせる時代錯誤である以上に、政権構想や日本の将来展望すら語ったことのない政治家が、与党幹部の密かな談合で国家の最高権力者になり得たという日本政治の非民主的現実に対する不信と結びついた反発なのであり、そうした大衆的な政治不信を裏づけるように森が「失言」したことで、強い反感が呼び起こされているのである。
 ところが野党側の追及も、これを連日大々的に報じるマスコミも、森の「神の国」発言をとらえて「首相の資質に欠ける」とか「主権在民の憲法を理解していない」などの非難を投げつけるだけで、そんな輩を首相にかつぎ上げた自民、公明、保守の与党談合政治への鋭い批判を展開しているとは、とうてい言い難い。森発言へのこうした批判は、むしろ問題を森の個人的資質に切り縮め、森政権発足過程に色濃く付きまとっている法的正統性への重大な疑惑という、民主主義を平然と踏みにじる「国対政治」を免罪する危険ですらあると言わねばならない。
 現に労働者民衆にとって、自民党内に時代錯誤の政治家がごまんと居るのはとうの昔から解っていることだし、棚ぼたで首相になった森が首相の器でないことも、次々と暴露される過去の行状からしてだいぶ明らかになっていたことである。だから「神の国」発言とは、そうした森政権の性格を確認する事件にほかならなかった。
 つまり問題の核心は、旧態依然たる日本の保守政治が労働者民衆の大衆的心情と大きく乖離している現実であり、それは「民主主義感覚の欠如」として徹底的に非難されるべき談合政治なのである。したがって野党が攻撃すべき森政権の最大の問題点は、権力継承に関してブルジョア民主主義的手続きや情報公開をもないがしろにした、そうした意味での「主権在民の否定」であるべきなのだ。
 しかしもし仮に、森喜朗なるケチな保守政治家の時代錯誤への攻撃が、「有権者にとっては解りやすい政治対決である」と考える野党議員がいるとすれば(そしてそれはあながち的外れとも言えない現実もあるのだが)、それは現実の社会問題を肌身で理解し、それに対応する政治のありようについて真剣な回答を求めている労働者民衆を愚弄するものであろう。それは姿を変えた愚民化政策と言っても過言ではあるまい。
 しかも、解散・総選挙の日程がすでに公然と語られはじめてから、その日程を計算に入れたように内閣不信任決議案を提出するというのは、むしろ議会内与野党の「馴れ合い」との印象を強めるだけである。与野党対決を演出し、すでに決まっている解散日程に合わせるように内閣不信任決議案を出すのは、これを受けた森が衆院の解散を宣言するのにむしろ格好の舞台を提供するだけである。「デキレース」とまでは言わないが、現在の野党各党もまた「国対政治」以外の行動規範をもたないこと、だからまた森政権誕生にまつわる談合を鋭く批判しえないことを自己暴露していると言うほかはない。

「神の国」以前の支持率急落

 はたして、国会の「コップの中の嵐」と労働者民衆の大衆的心情のズレは、世論調査にはっきりと現れた。
 新首相の森が、「日本は天皇を中心とする神の国」と「失言」してこれが政治問題化した5月15日の直前に、1千4百人あまりの有権者を対象に行われた朝日新聞社の「世論モニター調査」(朝日世論調査)では、「森喜朗首相の『神の国』発言が問題化したのは調査終了直後で、その反応は今回の調査結果には反映されていない」(同調査の報告記事より)にもかかわらず、森政権支持率の急落がすでに現実となっていた。
 各新聞社による世論調査によれば、御祝儀相場とはいえ発足直後の森政権の支持率は43〜48%あったのだが、野党が共同で提出する不信任決議の理由とされている「神の国」発言の影響がまだ反映されていない朝日世論調査でも、すでに32%と10ポイント以上も「急落」していたのである。もちろん朝日世論調査が森政権の支持率を調べたのは今回が初めてだから、10ポイント以上という落差は正確な比較とは言えないのだが、注目すべきなのは支持率急落の原因である。
 同調査の結果を報じた朝日新聞(5月24日)によれば、前回3月の調査では38%だった小渕政権支持者のうち、森政権不支持へと態度を変えた有権者は22%で、態度を変えた理由のうちの約6割は、森首相の「選ばれ方」であった。この「選ばれ方」というのは、言うまでもなく前述した小渕の病状を隠したまま行われた与党談合による後継者選びのことである。ブルジョア代議制とはいえ、あまりの旧態依然たる国対政治が自己暴露した「民主主義感覚の欠如」というべき保守政治への批判が、森政権支持率急落の大きな要因のひとつであったことは興味深い。
 というのも、政権の最高責任者が突然の病に倒れ、しかもその際の後継者が法的には未定であるとすれば、まずは小渕の医師団(主治医)が病状を公表して職務執行不能の状況を明らかにし、それを受けて臨時閣議が開かれて臨時代理が互選され、しかる後に臨時代理の下で内閣の総辞職か総選挙かが検討されて当然であろう。だが実際に起きたことは、ブルジョア代議制の下であれ取られるべき民主的手続きを踏みにじる「密室談合」や「国対政治」であり、これに対する労働者民衆の拒絶反応が、森政権の支持率を急落させていたのである。
 ところでわが民主、共産、社民の野党3党は、「手続き上の不備」を指摘して青木臨時代理に「釈明」を要求し、国会でもそれなりの追及はしたものの、突然の解散を回避しようと国会での首班指名選挙にも応じ、森新内閣成立を法的にも正当化する片棒をかついだのであった。ところが7月サミット前の衆院解散の日程が確定的となり、いずれにせよ6月総選挙が不可避となるや、森の「失言」を理由に小沢の自由党まで含めた内閣不信任案の提出が合意される事態は、野党各党もまた労働者民衆が不信をいだく「国対政治」によって行動していることを印象づける結果をもたらす以外にはない。
 かくして、来るべき総選挙での労働者民衆の選択はかなり消極的なものに、つまり自民党主導の保守連立政権にはうんざりだが、民主、共産、社民の各野党を積極的に支持する理由も見いだせず、いわば消去法による選択にならざるをえないことになる。本紙前号で指摘した「政党嫌悪率」が注目されるのは、まさにそのためである。

自公連携の基盤と危機と

 いずれにしろ森政権支持率の急落ぶりは、小渕病死への同情票を追い風にした解散・総選挙を目論んでいた自民党議員たちをあわてさせるに十分である。
 すでに自民党内には「森では選挙は闘えない」との声がとどめようもなく広がり、総選挙日程の延期や首相のすげ替えまでが公然と要求され、自民党執行部は事態の沈静化のために、さらに強引な手法でこうした不満を押さえ込もうと懸命である。森政権は就任後わずか一月で事実上の「死に体」になり、この流れが逆転する可能性はない。
 それでも、これほど急激な自民党にとっての事態の悪化は、森を首相としてかつぎ出した自民党幹部五人組(正確に言えば当時幹事長だった森自身を除いて、小渕の入院直後に談合した青木官房長官、野中幹事長代理、亀井政調会長、村上参院議員会長の四人組)にとっても、まったく予想外の事態であったに違いない。だが、森喜朗なる政治家が「軽くて失言癖がある」ことは、これらボス政治家たちには周知の事実であったことも明らかである。にもかかわらず森後継以外の選択肢がほとんどなかったところに、今日の自民党の危機の深刻さがある。
 四人組が極めて迅速に森を後継首相に据えた最大の理由は、自公保連立の堅持とりわけ公明党との連携の維持のためであったことは明らかである。それは衰退しつづける自民党の旧来的基盤を公明党に補完させることでしか政権を安定的に維持できないという事情による。だがより本質的には、自民党の長期にわたる政権の独占を可能にした、田中時代にシステム化され竹下、小渕へと継承されてきた利益誘導政治に固執する限り、公明党との連立は絶対に必要である。
 なぜなら公明党は、「学会員の相互扶助」を名目として排他的な現世利益を追求する創価学会の政治的代弁者にほかならないが、他方で自民党とりわけ小渕派は、各種業界団体の排他的な政治利権を代弁する政治的仲介屋の連合体にほかならないからである。有り体にいえば公明党・創価学会は、現在でも利益誘導政治が通用する小世界を基盤とする勢力であり、しかも教義(ドグマ)を媒介にして強固に組織された、その意味では旧態依然たる自民党政治の補完勢力としては、文字通りうってつけの存在なのである。
 公明党・創価学会と自民党・業界団体による排他的な政治利権の独占と配分が、自民公明両党を連立へと導いた真の理由と言ってもいいだろう。
 だがまさにそうした利益誘導政治が、日本の社会再編によって機能不全に陥り、社会の多数派を糾合できなくなったことが、自民党の長期低落と危機を促進しつづけてきたのであり、その意味で「旧き良き自民党政治」の再生はあり得ないだけでなく、自民党の解体的再編もまた不可避である。

新たな政治再編のはじまり

 とすれば総選挙の最大の焦点は、自公保連立与党の過半数割れをめぐる攻防になって当然であり、野党各党とくに共産党は、反自公保の連立政権に言及するなどしてその期待を表明しはじめている。
 ところが、事態はそう単純でもない。森政権支持率が急落しているにもかかわらず、他方では自民党支持率は横ばいかややプラスという世論調査もあるからである。
 もちろん自民党の大敗、自公保連立与党の過半数割れの可能性も大いにあるし、その場合は自民党の解体的再編を含めて、政党再編の流動が一挙に加速することになるだろう。しかし先にも述べたように、自民党を主軸とした保守連立への拒絶感は強いものの、野党各党に対する支持率もまた、低迷がつづいている。なぜなら、自民党の大敗にとって変わるべき野党、とりわけ最大野党たる民主党には、いまも新しい社会的基盤を見いだし得てはいないからであり、そうした基盤として期待されたナショナルセンター・連合は、労働者民衆が実感する課題、失業や年金と老後への不安、学校崩壊から社会的荒廃の拡大への不安などなどについての対応で、ますますその無能を暴露している。
 したがって自民党の解体的再編が加速される局面は、実は同時に民主党と連合を貫く分解と再編もまた促進される局面であり、新たな合従連衡が、しかもこれまでの日本政治の常識では計り知れない組み合わせすら登場する混沌たる局面となる可能性が強い。
 にもかかわらず、この局面はかつて階級的労働者が厳しい孤立を強いられた情勢と同じではない。ないよりもグローバリズムに立ち遅れた日本資本主義にその再編がとどめようもなく押し寄せ、それとともグローバリズムに対する国際的な労働者民衆の抵抗運動もまた次々と日本に伝搬されるに違いない。それは日本における労働者ナショナルセンター再生にとって欠くことのできない、新たな国際的基盤を提供することになる。

  (さとう・ひでみ)


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