●第42回総選挙の結果について●
政党再再編を促進する自公保政権の「信任」
自由党、社民党の健闘、公明党、共産党敗退の背景


 6月26日に投開票が行われた第42回衆院選挙は、自民、公明、保守の与党3党が解散前の議席数(330議席)を大きく減らす271議席しか獲得できなかったものの、衆院の各委員会で議長を独占しかつ多数派を構成しうる、いわゆる絶対安定多数(269議席)を上回ったことによって、与党3党幹部はいち早く森政権続投の正当性を主張、首班指名のために7月4日に召集される特別国会にむけて、その体制固めに入っている。
 一方の民主党は、公明党の全面的支援を受けた自民党「大物議員」との都市部での競り合いを制するなどして、解散時議席(95議席)を大幅に上回る127議席を獲得、首都圏の比例区票では第一党にまで躍り出て、政治利権による利益誘導という戦後日本の保守政治の衰退が、都市圏を中心にドラスティックに進行していることを印象づけた。
 だが同時にこの党は、森首相の「失言」問題など重大な敵失にもかかわらず、消滅の危機と言われていた社民党が、いわば民主党の翼端を削り取るようにして議席を回復したことに端的に示されたように、いわゆる無党派層を獲得する確固たる政策をもてない野合政党として、「とりあえずの反自民」という消極的選択肢の受け皿的役割しか果たし得ないことをも露呈した。
 そしてもう一つの重要な特徴は、都市部の強固な組織票によって、支持基盤の分解や衰退に悩む諸党を尻目に安定した議席を確保してきた公明党と共産党が、戦後2番目に低い投票率(62・49%)という組織選挙には有利な条件にもかかわらず、議席を大きく減らしたことである。

 ところで本紙が発行されるころには、国会の首班指名をへて第二次森政権が誕生しているであろうが、階級的労働者にとってより重要なテーマは、首班指名をめぐる直近の政局の動向を詮索する以上に、今回の選挙結果の中に、日本における社会再編がうながしている労働者大衆の政治意識の変化を読み取り、この社会再編を推進力にいやおうなく進展するであろう新たな政治再編の行方を、この社会再編の過程で台頭しつつある新しい進歩的な労働者民衆の運動という社会的基盤との関係で解明することであろう。
 なぜなら今回の選挙結果は、明快な勝者が不在な反面、利権政治の牙城・自民党小渕派の主導権が維持されたことによって、社会的要求と議会政治の乖離がさらに深まり、その分だけ政治再編への社会的圧力が高まるであろうからであり、この政治再編に備えたイニシアチブの形成は、新しい進歩的な労働者民衆の運動が社会変革の主体的力となる可能性を切り開くからである。

保守の危機感と自由党

 新聞の姿をした日本ブルジョアジーとでも言うべき「日経新聞」は、投票日翌日の26日朝刊で、「生活保守主義」の有権者が変化を望まなかったのだと選挙結果を評し、「国家衰亡の予感を打ち消すことはできるのだろうか」と、文字通り暗澹たる気分で「利益誘導で有権者を引きつけ、既得権益を守る『保守政治』で、21世紀にむけて、この国は持ちこたえられるのか、との懸念」を表明する記事を1面に掲載した。
 政治利権で地盤(票田)をやしない、その見返りでカバン(資金)をうるおし、その力で再選を繰り返して看板(知名度)を磨き、こうした議員集団として政権を独占しつづけて利権を確保する戦後保守政治の「好循環」は、いまやまったく過去のものとなった。にもかかわらず総選挙の結果は、大衆の「生活保守主義」が「変化を望まず」に旧い保守政治を支持し、結果として日本資本主義は産業再編のタイミングを逃し、押し寄せる金融グローバリズムの波に飲み込まれ、甚大な打撃を被ることになるのではないかとの危機感を表明する論調である。
 この危機感は、厳しいグローバリゼーションへの対応を迫られるブルジョアジーにとっては当然のものである。だが現在の自公連立は、まさに日本ブルジョアジーの金融グローバリズムへの対応の遅れが引き起こしたデフレ・スパイラルの危機を脱するために、果敢なブルジョア救済策を展開できる議会内の安定勢力を求めて、自民党政治が選択したものにほかならない。
 しかも創価学会という閉鎖的小社会の現世利益を代弁する、宗教教義によって強固に組織された「生活保守」勢力との連立が自公連立だとすれば、その既得権の破壊を伴う急激な構造再編は連立政権の存立をただちに脅かし、機動的で果敢な景気刺激策を展開できる、そうした政権の機能不全に直結しかねないのも明らかである。
 自民党政治は行き詰まっている。だが、現在の閉塞状況を突破するイニシアチブを民主党に見いだすこともできないし、自公保政権による、モラルハザードを撒き散らしつつ展開される様々な資本救済策もできれば持続してほしい。しかしそれでは、既得権防衛の保守主義も生き残るだろう。こうして、暗澹たる気分の閉塞感と苛立ちが、ブルジョアジーをとらえるのである。
 この自公保政権の危機の推進力は、いうまでもなく金融グローバリゼーションとして日本資本主義に押し寄せる国際的な資本主義的競争の圧力であり、そして自公保政権の危機の対極には、実は消滅の危機と言われた自由党の健闘があると言える。
 アメリカ型の近代的経済と新自由主義の突出した信奉者であった小沢の自由党は、連立離脱によって自民党政治との決別を鮮明にするという懸けに出たのだが、議席増加という選挙結果は、単に小沢の決断が功を奏したということではなく、抗し難いグローバリゼーションの国際的圧力が日本資本主義をとらえはじめた現実と、アメリカ経済への追随によってこれに対応しようとするブルジョア潮流の台頭の中に、自由党が社会的基盤を見いだし始めたことの反映である。
 それは小沢の自由党が今後、自民党政治の危機に反比例して政党としての存立基盤を強化し、自民党内「改革推進派」と競合しつつ、金融グローバリズムを推進する政党の地位を確保する可能性を意味する。

社民党の伸長と人権感覚

 他方、自由党と同じように消滅の危機と言われた社民党は、土井党首の掲げた21議席には到達できなかったものの、14議席を19議席へと増やし、その「意外な」しぶとさをみせることになった。
 しかもこの社民党の健闘は、かつての社会党的勢力の回復をまったく意味していないことに大きな特徴がある。それは村山富市、伊藤茂といった、55年体制を代表する社会党以来の「大物議員」が引退する一方で、社会党時代も決して選挙で強かったとは言えない大阪(10区)で、「ピースボート」運動の創設者にして党の広報委員長である辻本清美候補が、公明党の現職候補に競り勝ったという対比の中に端的に現れた。
 それは、熟練工を頂点にした徒弟的な労働者の職場秩序を基盤とする総評労働運動の利害を代弁し、保守政権との政治的取引を生業としてきた議員が引退し、代わって、近代的市民つまり自立的個人の自発的参画を大前提にして、社会的に保障されるべき基本的人権の観点から、具体的には最悪の人権侵害に他ならない戦争に反対する国際交流の大衆運動を組織し「代表」した議員が、典型的な利益誘導政治による組織選挙に競り勝ったという対比にほかならない。
 それはあえて言えば、労働者個々に属する団結権などの基本的人権以上に、上意下達の労働組合官僚機構の利害を取引材料として扱う代行主義者の歴史的退場と、労働運動とは関係が薄いとはいえ、こうした代行主義とはまったく逆に基本的人権を最も重要な価値として尊重し、これに基づく要求を大衆の自発的な運動として組織しようとする、とりあえず「人権派」とでも呼ぶべき議員の交替の始まりとでも言えるだろう。しかもこうした人権派の運動は、昨年11月にアメリカのシアトルで行われた世界貿易機構(WTO)への抗議運動に見られたように、金融グローバリズムの猛威に抗して、社会的公正と基本的人権の擁護を要求する国際的潮流として登場しつつあるのであり、金融グローバリズムが日本に押し寄せると同ように、日本の大衆運動にも波及する性格をもっている。
 つまり今回の選挙での社民党の健闘は、全国的な大衆闘争の攻勢がない現状では劇的な拡大は望めないとしても、いま各地で始まりつつある自発的で自立的な、住民投票運動などとして登場しつつある大衆自治と自己決定を内包する「直接民主主義」の要求を新しい基盤として獲得する可能性を示すものと言えるし、同時に、金融グローバリズムに抗する国際的潮流とも結合して発展する可能性をも秘めてもいるのであり、総評・社会党ブロック時代の議員たちの引退が相次ぎ、他方で辻本のような「人権派」が増加しつづけるかぎり、この党が存続する社会的基盤が、国際的背景をもって存在することに注目する必要があるだろう。

人民議会主義と共産党の後退

 この社民党「人権派」の健闘の背景はまた、今回の選挙での共産党の後退を説明するものでもある。なぜなら、共産党が掲げ続けている人民議会主義は、ますます深刻な機能不全に陥っているブルジョア代議制の代行主義を、もっとも頑強に擁護する路線にほかならないからである。
 高度経済成長の頓挫とともに、ますます狭い業界団体利害の代行へと向かう自民党政治からふるい落とされ、あるいは企業社会の防衛に汲々とする労組官僚機構と癒着した社民党や民主党の旧社会党系議員たちの代行主義にも見放された労働者民衆の政治不信は、かなり漠然とではあれ、選挙制度の歪みを含めてブルジョア代議制そのものへの不信へと向かいはじめており、だからまた自民党が業界団体の利害を代行する公共事業や開発行政に抗して、住民自治を掲げた直接請求や住民投票を求める運動となって登場しはじめていると言わなければならない。
 たしかに共産党は、各地で起きた住民投票運動を支持し、こうした大衆闘争をともに担いはする。だがそれは結局のところ、各種選挙での共産党議員団の拡大のために、大衆運動の利用にとどまることが多い。だからまた大衆自治と自己決定を内包した大衆運動が、共産党議員団の拡大や共産党系首長の登場に寄与しなければ、それまでの大衆運動との信頼関係すら返り見る事なく、あっさりと投げ捨てもするのである。こうした例は、とくに選挙協力では枚挙に暇がない。
 こうして共産党は、社民党「人権派」の健闘とは対照的に、新しい可能性に背を向ける一方で、否、より正確には人民議会主義のゆえにこの新しい可能性に気がつくことができずに、自民党政治に幻滅した保守的無党派層に媚びを売る道に踏み込んできた。
 天皇制を事実上容認し、議会だけで国旗・国歌を制定することを積極的に正当化し、ついには安保条約の廃棄を永遠の未来に押しやってまで右に翼を広げ、民主党との連立政権まで夢想した共産党は、だからこそこうした保守層への媚びを台なしにしたという主観にもとづいて、「空前の謀略選挙」が敗因のすべてという選挙総括を臆面もなく機関紙に公表できたのである。

 促進される政党再編

 最後になるが、公明党の支援を受けた自民党の都市部での大敗は、われわれの予測をも上回るものであった。65%以下の投票率であれば、森が「寝ててくれれば・・・」と言った無党派層は動かず、さらに自民党支持票の歩留まりが6割程度であれば、自民党は過半数という事前の予測に反して、投票率62%、自民票の歩留まりがほぼ7割(朝日新聞出口調査)でなお、都市部での「大物議員」の落選が相次いだからである。
 それは自民党が利益誘導で養った選挙基盤が、都市部では予想をはるかに越える規模で崩壊しつつあることの証しであり、国家財政の赤字が膨大な額に膨らみ、政治利権がますます小さくなる今日では、この自民党の選挙基盤の崩壊はさらに促進される以外にないことを意味している。
 55年体制型議員たちの保革両陣営を貫く引退や落選、アメリカ型二大政党制を標榜した小選挙区制の欠陥と浮遊する野合勢力民主党、だが日々高まる金融グローバリゼーションの圧力、そしてブルジョアジーの閉塞感と危機感。これが、自民党の解体的再編と民主党の分解を促進しつづける。

  (6月30日 さとう・ひでみ)


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