反市場的な金融政策の終結が保守の支持基盤に与える打撃
輸出主導では回復できない新しい不況の構造


ゼロ金利解除をめぐる応酬

 日銀は8月11日、金融政策決定会合を開いて99年2月以来のいわゆるゼロ金利政策の解除を決め、金融機関の間で資金を融通し合うコール市場の無担保翌日物の金利誘導目標を年率0・25%に引き上げると発表した。
 日銀が金利引き上げを実施するのは、90年8月に公定歩合を引き上げて以来ほぼ10年ぶりという「金融政策の大転換」なのだが、社会生活に大きな影響を与える公定歩合は0・5%に据え置かれたし、0・25%というコール市場金利にしても超低金利であることには変わりがない。日銀もまた発表文で「今後も金融が大幅に緩和された状態を維持する」と強調してもいる。
 しかしこのゼロ金利解除をめぐっては、エコノミストたちばかりか政府、政党、外国の金融官庁までが加わり、激しい賛否両論の応酬が行われてきた。森政府は史上はじめて、政策決定会合の議決延期を日銀に求める「議決延期請求権」まで行使してゼロ金利の解除に反対したし、アメリカ財務省のサマーズ長官もゼロ金利政策の維持を日銀に働きかけつづけてきた。
 またエコノミストたちの論争も、日本経済の景気回復が依然弱々しいことを理由にゼロ金利解除に反対する論調と、ゼロ金利という異常な金融政策が日本経済の改革を遅らせてると解除に賛成する論調のやり取りが繰り返され、解除反対の論調はおおむね不良再建処理などに不安を抱く財界の、解除賛成の論調はグローバリズムに対応した規制緩和推進派の論調だったと言えるだろう。
 しかしいったい「ゼロ金利政策」とは何だったのか、それは客観的には日本経済に何をもたらしたのか、そして利上げへの「転換」は今後の日本経済と社会に、だからまた日本政治が直面する再編にどんな影響を与えることになるのだろうか。

デフレスパイラル

 通貨(中央銀行券)の供給量を調整し、市場で変動する金利の動向に人為的に介入するなどの中央銀行による金融政策の目的は、一般には物価の安定である。簡単に言えば、インフレの場合は通貨供給量を減らして金利を引き上げて物価上昇を抑え、デフレの場合は通貨供給量を増やし金利を引き下げて物価下落に歯止めをかけるのである。
 99年2月、すでに95年以来つづけてきた超低金利(公定歩合0・5%)の金融緩和政策をさらに進めて、というよりも金融史上類を見ないゼロ金利という「究極の」金融緩和に日銀が踏み切ったのは、デフレスパイラル、つまり景気の悪化と物価下落の悪循環を「未然に防ぐ」のが名分であった。日本経済はデフレスパイラルには陥っていないが、その瀬戸際にあるというのが、当時の日銀の示した認識だったのである。
 だが「究極の例外」とも言えるゼロ金利政策と、現状は通常のデフレであるという経済状況の認識には、はっきり言って何の整合性もない。というのも通常のデフレであれば、利子の安い資金が供給されれば、それを借りて新規の設備投資をしたり新たに商売をはじめたりする資本家の意欲が刺激され、それが経済活動の拡大を牽引するというのが近代経済学の論理なのだが、すでに5年も続けた超低金利政策の下でも景気回復の兆しは一向に現れず、むしろ金融機関の抱える地価や株価の続落が含み損を拡大して不良債権を更に積み上げ、中小金融機関の連鎖倒産の危機が現実味を帯びたことが究極の金融緩和の引き金になったと言うのが現実であった。しかもコール市場という、金融機関が相互に資金を融通し合う市場に介入して無利子で資金を供給しつづける金融政策は、むしろ中小金融機関の連鎖倒産の危機という金融システム不安への対応策が、ゼロ金利政策であったことを裏づけているとすら言えよう。
 それは結局、過剰生産に対応した基幹産業部門でのリストラが始まり、とくに設備投資の縮小がもたらす資本財への需要減退が現れると、これに伴う雇用や所得の減少を介して消費の減少へと発展し、それが地価や株価の続落という資産デフレを一段と促進して資金流通の減少(金融収縮)をも招き、さらに社会的需要全体の減少を促進してさらなる資産デフレを促すという、デフレスパイラルと呼ぶ以外にない現象が日本経済を襲っていたと言うべきであろう。

反市場的な金融政策

 ところが経済企画庁もそうだが、日銀もまたデフレスパイラルを頑として認めず、ただただ金融システム不安に対応して、破綻しそうな中小金融機関に必要な資金を無制限に供給しつづけてきたのである。
 ところでデフレスパイラルが現実のものになると、金利誘導や通貨供給量の増減といった、市場的政策と呼ばれる通常の金融政策は期待した効果を発揮しなくなる。なぜなら前述した設備投資などに必要とされる資金需要の減少がデフレの根幹にあるのだから、金利の安い資金がどれほど大量に供給されても銀行の貸し付け額は増加しないし、設備投資も拡大には転じないからである。つまりそれは、近代経済学が想定するような実態経済の拡大を期待どうりにはもたらさない。
 にもかかわらず、この状態を放置すれば企業倒産の増加やこれに伴う失業の増大をまねき、デフレスパイラルがさらに深刻化することになるのも明らかである。そしてこの状況をくい止めるために要求されたものこそ、市場原理にそむき市場原理の貫徹にブレーキをかけるような金融政策、つまり倒産しそうな私的金融機関を巨額の公的資金を投入することで延命させる、あるいは債務超過の企業に資金の供給をつづけることで経営破綻を防ぐなどの、金融政策としては究極の例外措置だったのである。
 ただし、こうした市場原理を抑制する金融政策が長期間つづけば、当然ながら市場経済には副作用が生じる。その最悪の副作用がモラルハザード(金融倫理の退廃)と、それによる構造改革の遅れであるというのがゼロ金利解除賛成派の主張であった。実際に、無利子の資金が無制限に供給されるゼロ金利政策は、事実上は経営破綻に陥って資金繰りに苦しむ企業などに対する金融機関の支援の継続を可能にしたし、市場原理に委ねれば淘汰されたであろう資本を延命させつづけるのに大いに貢献してもきた。さらに他方では、金融機関側の貸し倒れなどのリスク感覚を鈍らせ、その分だけ貸手としての責任がいい加減になるなどの倫理的退廃が蔓延する危険性も否定はできない。
 最終的には民事再生法の申請に追い込まれて倒産した大手デパートそごうも、ゼロ金利という異例の金融政策なしには持ちこたえてこれたかどうかはなはだ疑わしいし、膨大な不良債権の元凶と言われている中堅ゼネコンもまた、ゼロ金利によってバックアップされた金融機関の支援なしには延命しつづけてはこれなかったであろう。だから規制緩和推進論者たちは、ゼロ金利政策の継続が、市場原理の貫徹によって倒産すべき企業などを生きながらえさせ、日本経済が市場原理に対応した再編に向かえない原因であるかのように主張し、今回のゼロ金利解除を当然のこととして歓迎もしたのである。
 だが前述したように、デフレスパイラルとは市場の見えざる手に最終的な経済調整を委ねていれば、つまり通常の金融政策による対応では、間違いなく金融恐慌を引き起こすような物価と実体経済の悪循環的な収縮の連鎖なのである。それはつまるところ、1929年のアメリカ大恐慌のように社会的投資が事実上壊滅する可能性のある経済的危機であり、大量倒産や失業を媒介にして経済的危機が社会的危機へと発展・転化するクラッシュの可能性すら意味していたのだ。
 したがってゼロ金利政策とは、金利誘導目標をゼロにするという市場的金融政策の衣をまとってはいたが、客観的にはこうした市場原理には反するデフレスパイラルへの対応策だったと言えるのである。
 日銀がゼロ金利の解除に際して、これは正常な金融政策への復帰に過ぎず、大幅な金融緩和政策は今後も維持されると強調したのは、それがデフレスパイラルに対応する反市場的な金融政策であり、中央銀行が採用する政策としては何の論理的整合性もないことを十分に自覚してからであろうと推測できる。こうして日銀は「正常な」金融政策に復帰する一歩を踏み出したのだが、それがデフレスパイラルという異常事態の終息を意味する訳ではない。日銀が正常な金融政策に復帰したいという願望を実現したことと、デフレスパイラルという経済危機の終焉とは何の関係もありはしないのである。

新しい不況の構造

 日銀のゼロ金利解除は、「デフレ懸念の払拭が展望できる」ようになったからというのが理由だが、デフレスパイラルの危機は無くなったと言えるかどうかは、本当のところは誰にも解らないのである。その意味でゼロ金利解除賛成派は、日本経済回復の展望を強気で分析しているだけであり、解除反対派と慎重派は、弱気で分析しているという違いがあるだけである。
 なぜなら、現在日本資本主義が経験している長期不況は、輸出主導型で景気が回復するというこれまでの経験とは明らかに違う様相を示しているからである。たしかにいくつかの経済指標は、IT(情報技術)関連に特化した弱々しいものではあれ、好調な経済を反映するアメリカ市場向けの輸出に主導されて回復を示してはいる。だがこれまでの不況ならば景気の悪化で金利が下がるとそれが円安に連動し、輸出価格が下がることで輸出ドライブがかかり、それに牽引されて新たな好循環が始まるというパターンであったものが、不況下での輸入増加によって純輸出増加分が相殺され、このパターンがうまく作動しない事態が生じているのである。
 しかも、不況にもかかわらず増加する輸入のうち電子部品を含む機械機器、そして家電や自動車といった耐久消費財の輸入は景気の変動にかかわりなく安定的に増え続け、その分だけ日本国内の基幹産業である耐久消費財の生産設備の稼働率の回復が、輸出増加と連動しにくくなっているのである。これは、80年代に日本企業が相次いで海外に進出した結果と考えられるが、そうであれば「産業空洞化」を伴った日系多国籍企業による海外生産拠点からの日本向け輸出は、すでに日本経済に完全に組み込まれていると言わなければならない。あえて言えば旧来的な輸出立国・貿易立国モデルの終焉である。
 こうした条件の下では、巨額の財政赤字を作り出しながら展開されている公共事業という財政政策も、かつてのような乗数的な経済波及効果をもたらすことができないのも当然であろう。公共事業による景気刺激が、必ずしも国内生産活動の活発化の連鎖を作動させはしないからである。
 こうして、戦後日本資本主義の経済的繁栄を演出してきた伝統的保守政治による経済政策は、金融と財政の両面で決定的な行き詰まりに直面した。小渕政権が展開した100兆円もの財政出動による公共事業も、デフレスパイラルの進行を辛うじて鈍化させることには成功しても、期待された自律的景気回復を実現する以前に膨大な財政赤字の壁に突き当たり、ゼロ金利という究極の金融緩和も、物価の下落を緩やかにはできてもそれを反転させるには至らないまま解除するに至ったのである【7頁表参照】。ゼロ金利の解除が、規制緩和推進論者たちの主張するような日本経済の再編を促進するムチの役割を果たし得るわけではないが、莫大な超過債務が作り出す金利負担の重圧は、各金融機関をしていやおうなしに不良債権の処理を加速させ、あるいは資金繰りに苦しむ中小企業向け債権の回収に走らせる可能性は強い。
 それは、現状でも日本の国内銀行の貸し出し残高の20%を占める、短期プライムレート(年1・375%)以下の金利の借入でかろうじて維持されている企業を倒産の危機に直面させ、そこでの雇用も失われることを意味するだろう【下図参照】。しかも日本の銀行貸し出しのほぼ半分が、株式市場などから直接資金を調達する手段を持たない中小企業向けであるという現実は、戦後保守勢力の支持基盤の重要な一角が、それによって大きな打撃を受ける可能性を示すものである。

自民党と民主党の動揺

 こうして戦後保守勢力の伝統的な財政政策と金融政策の行き詰まりは、資本の生き残りをかけたリストラ攻勢に拍車をかけずにはおかないのだが、それは同時に自民党や公明党の支持基盤である中小零細事業者層の没落を促進することになる。
 危機感を募らせる自民党は、先の総選挙での敗北を受けて公共事業の全面的な見直しを発表するなど、旧態依然たる政策からの転換をアピールし始めているが、それが現に進行しつつあるこうした社会的な再編にどれほどの対応力をもつのかは、はなはだ疑わしい。残すところ1年もない来年の参議院選挙までに、行き詰まりに直面している財政政策や金融政策を全面的に見直し、その抜本的な立て直しを図るには時間が少な過ぎる。
 だが他方で最大野党である民主党が、規制緩和論者たちと歩調を合わせ、グローバリゼーションに対応する産業再編の動向におずおずと追随し、未来のための痛みを伴う改革の必要性を訴えるのは、民主党の内部に分岐の火種をつくる危険を伴う賭けである。痛みを伴う改革で最も一貫しているのは民主党ではなく小沢の自由党だからであり、おずおずとした現実への追随は、民主党内に自由党支持派を台頭させるだけである。
 こうした政党政治の混迷にもかかわらず、伝統的な財政政策と金融政策の行き詰まりがいやおうなしに社会再編を促進しつづけ、それによって政党の新たな離合集散の圧力を作り出すのである。      

(ふじき・れい)


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