●長野県知事選と東京21区補選●
政党再編の圧力高める無党派候補圧勝の構図
代行主義に対する嫌悪感と自民党内紛のゆくえ


無所属候補の圧勝

 10月15日に投開票された長野県知事選挙で、作家の田中康夫候補が、同県前副知事の池田典隆候補を11万票を超える大差で破って初当選を果たした。
 選挙告示のわずか1週間前に出馬を表明した無所属の田中は、作家として高い知名度を持ち、県指定金融機関にして県内トップバンクである「八十二銀行」の頭取や、県商工会議所連合会会長の「個人的支持」を得ての立候補だったとは言え、共産党をのぞく全県議団の推薦をうけ、さらには県内の全市町村議会や主要な団体・企業の支援も取りつけていた前副知事・池田を大差で破った背景には、副知事経験者が40年間も県政を牛耳ってきた「官僚主導県政」への大衆的不満と、県内の主要団体・企業が支援するという典型的な利益誘導型組織選挙に対する無党派層の反発があったと言われる。
 ちなみに田中の得票は589、321票、対する池田の得票は473、717票だった。
 さらに1週間後の22日、今度は東京21区の衆議院補欠選挙で、薬害エイズ問題で厚生省の責任を追及する運動の先頭に立ってきた川田龍平さんの母親である川田悦子候補が、6月総選挙にも立候補したばかりで知名度も高く、延べ100人を超える幹部が応援に駆けつけるなど自民党の全面的な支援を受けた加藤積一候補に、およそ2千票の僅差ながら競り勝って初当選した。
 東京21区補選は、6月総選挙で当選した民主党の山本譲司衆院議員が、国庫から支給される公設秘書の給与を流用・着服したとして逮捕され辞職したのに伴って行われた補欠選挙だから、民主党公認の長島候補が6月の山本の得票98、775票から25、843票に大きく票を減らしたのは当然だったにしても、総選挙でその山本と激しく競った加藤が、その時の得票73、067票の66・9%でしかない48、883票しか獲得できなかった事実は、勝敗以上に自民党には衝撃であったに違いない。ちなみに川田の得票は51、008票だった。

院内闘争と大衆意識の乖離

 この2つの、自民党と民主党にとって厳しい結果となった選挙戦は、来年夏の参院選挙から比例区に非拘束名簿方式を導入しようとする自民、公明、保守の連立与党と、これに強く反対する民主、共産、自由、社民などの野党が、強行採決と審議拒否で激しく対立する国会内の攻防と並行して闘われた。だから与野党が、この院内対決に対する「国民の審判」が2つの選挙に反映すると考えたのは、議会での攻防に社会的関心があるとの前提に立てば当然だった。
 だが野党議員たちが議会内でどれほど真剣に闘っていたにしろ、選挙制度改悪反対の大衆行動はまったく盛り上がりに欠け、院内対決に対する労働者民衆の反応は冷ややかですらあった。だから自民党はこの選挙を楽観はしていなかったにしろ、参院選挙制度改悪問題が選挙に与える悪影響は小さく野党とくに民主党の圧勝はないと判断し、あわよくば民主党の敵失を利用できるとさえ考えただろう。だから大差の敗退と得票数の激減という、ある種屈辱的な敗北までは予想していなかったと言っていい。
 他方、民主党などの野党は、共産党を除く与野党相乗りの長野県知事選にはほおかむりする一方、東京21区の補選では議会内の「全面対決」の延長上に、自民党を「追撃」できるとの思惑で選挙に臨んだと想像できる。長野での与野党相乗りと東京21区での「対決」は一貫性を欠いた矛盾した行動であり、だからまた野党候補が労働者民衆の不信と懐疑の目で迎えられるだろうことを自覚もしない、虫の良い思惑であったにしろである。 もちろん、すでにある与野党の合意を反故にしてまで唐突に選挙制度を変えるのは、それ自身として不当なことだ。だがこの院内対決を見る労働者民衆の目は冷ややかだった。野党議員が「民主主義の死」を声高に叫ぼうが、与党議員が「多数決こそ民主主義だ」と居丈高に居直ろうが、所詮は「代議士本人たちの当落に関わる問題だから本気なだけで、民衆が必要とする政策で本気だったことなどない」議会の現状を、すっかり見透かしていたからだ。
 しかも、選挙でも一貫性に欠ける野党が、数の力に訴えるしか能のない自民党を議会で追及する対決では、「結果は見えている」という諦めも込めて、労働者民衆は端から不信の目を向けていたのだ。
 こうして長野県知事選と東京21区補選は、与野党を問わず既存の政党とは無関係と思われ、他方では阪神淡路大震災後の支援ボランティアを長年つづけたり、エイズ感染症問題で政府・厚生省を追及したりした、労働者民衆の広い共感を得る運動の経験をもつ知名度のある無所属候補が、与野党相乗り候補と政党の公認・推薦候補を押さえて当選することになった。与野党の思惑が外れ、議会の与野党対決を必ずしも反映しなかったこの選挙結果は、今日の議会政治と大衆的な政治意識が大きく乖離し、戦後日本の代議制の機能不全を改めて確認するものだろう。
 蛇足だが、こうした無党派層を中心とする民衆の投票行動を見れば、自民党支持団体の選挙運動の活性化を意図した非拘束名簿方式を、「票の横流し」と批判する野党の主張は必ずしも的を射ていない。ボーダーライン上の候補を当選させるような大量得票が期待できる自民党名簿登載者は、田中真紀子のような例外的「反党分子」を除けば皆無だろう。なぜならどんな人気タレントであれ、自民党の候補者として名を連ねた途端に、無党派層が離反するのは明らかだからだ。そして例外的反党分子が比例区名簿に搭載される可能性は、現在の硬直化した自民党主流派体制の下ではあり得ない。

大衆的な嫌悪と政党再編

 この2つの選挙結果は、一般に有権者の政党不信や政党離れと評されている。だが正確には、55年体制の再編の行き詰まりとグローバリゼーションが促進する社会再編の進行に対して、日本の議会制度が対応力を失っているというギャップが作り出した政治不信と言って過言ではないだろう。
 無能な首相を談合で選ぶ厚顔無恥、相も変わらぬ利益誘導、茶番にしか見えない与野党対決などなど、総じて日本的な談合政治と一体化した代行主義への嫌悪が、政党ばかりか議会政治そのものへの不信として労働者民衆を捉えつづけている。それだから、この嫌悪を共有していると思える対象が現れれば、それが石原のようなデマゴーグであれ田中のような政治の素人であれ、嫌悪の意思表示としてこれを押し上げる。
 つまり大衆的な「永田町政治」への嫌悪は、労働者民衆の自発的要求に基づいた大衆運動を通じて、参加型の民主主義や自己決定権に基づく大衆自治の要求へと発展する可能性がある一方で、現実の政治に罵声を投げつける「強いリーダー」に寄りかかり、劇的な変化を願望する没主体的幻想を追い求める危険性もはらんでいるのだ。
 そして東京21区補選で、自民党支持票の歩留まりが7割以下にまで落ち込んだのは、無党派層にとどまらず、政党支持者の間にまでこうした嫌悪と政治不信が広がりはじめていることの現れなのだ。
 こうした大衆的な嫌悪と不信は、急激な産業再編と社会再編の進行によって企業社会や地域のボス支配が解体されつつあるにもかかわらず、旧態依然の保守政治が、相も変わらず企業社会やボス支配に依存しようとするギャップから生じている。そして来年の参院選挙でも過半数を取れないと言われる自民党の凋落は、この旧態依然たる政治が、いよいよ後のないところにまで追い詰められていることを雄弁に物語る。だから自民党内部抗争の激化として現れつつある新たな政党再編の胎動は、直接的にはこの議会内多数派の確保をめぐって展開することになる。
 だが議会内多数派つまり議会の主導権をめぐる抗争を基盤にした政党再編は、これまでの政党再編がそうだったように、結局は議員たちの目先の利害と自己保身に押し流されて、「ねじれ現象」を起こし「数合わせ」に堕すことにしかなるまい。
 社会的圧力を反映する政党再編の衝動は繰り返し顕在化するが、それはぐずぐずとしか進まずに迷走を繰り返し、だからまた助長される大衆的な政治不信という悪循環は、いま始まりつつある政党再編の延長では断ち切られない可能性が強い。とりわけ、日本的議会政治を包囲する大衆的嫌悪を懐柔できる、談合政治と一体化した代行主義を新しいイチジクの葉で粉飾する名案は、自民党反主流派にも民主党にも、そして「断固たる代行主義政党」たる共産党にもあるとは考えられないし、かと言って参加型民主主義や自己決定権を基礎におく大衆自治を求める大衆運動を新しい支持基盤に取り込もうとする大胆な「自己変革」の構想が、現在の野党議員たちから出てくる可能性も極めて低い。
 むしろこうした「自己変革」の可能性は、旧来の支持基盤をほとんど失い、弱小政党に転落した社民党にあるかも知れない。なぜなら、土井党首とかつての「土井チルドレン」議員の組み合わせという現在の社民党の体制は、この党が様々な大衆運動の圧力を受けやすい状態にあると考えられるし、大衆運動の側からも、民主党や共産党と比較して、圧力を加えて動かすことが可能にも見えるからだ。そして前述したような、新しい大衆運動との結びつきを持つ議員が流入しはじめ、かつての労組出身議員たちが次々と引退しはじめている事態が、その可能性をさらに強めているとも言えるからだ。
 だが、こうした大衆運動の可能性が、現在の日本政治の悪循環を断ち切れない状況が長くつづくなら、政党や政治に対する大衆的な嫌悪がデマゴーグを押し出し、安易な強権的政治への期待や排外主義を助長する危険性が強まることになる。

(さとう・ひでみ)


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