テロ対策特別措置法の成
平和主義的孤立主義を脱し国際的反グローバリズム闘争へ
戦争をもてあそぶ便乗法制のあやうさ

 


便乗法制のスピード審議

 10月29日の参院本会議は、テロ対策特別措置法案と、同法案に関連する自衛隊法と海上保安庁法の両改訂案を賛成多数で可決、いわゆるテロ関連三法が成立した。これによって戦時の外国の領土を含む「戦闘地域の近隣」に、自衛隊が派遣される道が開かれた。
 それは武装の軽重がどうであれ、また「国連憲章の目的達成のための諸外国の活動」(法案名称)の範囲内、現実にはアメリカの戦争行為の範囲内という限定つきではあれ、日本の「戦力」(小泉発言)が、国際紛争の解決手段として行使できる可能性を開いた法律の制定という意味で、戦後日本の歴史的転換を画するものである。
 しかもテロ関連三法案の記録的なスピード審議での成立の背後には、「湾岸戦争のトラウマ」に悩み機密費横領などの不正を暴かれて窮地にある外務官僚の、汚名返上とばかりの画策があるのは明らかである。あるいは政権維持のために自民党内の支持基盤を強化したい小泉が、報復戦争と外務官僚の暗躍に便乗し、自民党タカ派のかねてからの願望を実現しようと、私利私略とも言える思惑をめぐらせた可能性も十二分にある。
 このたぐいの便乗は、もちろん日本だけではない。『Newsweek』日本版10月31日号のデーナ・ルイスの巻頭コラムは、ゼーリック米通商代表が、大統領に通商交渉に関する包括的権限(ファストトラック)を与えることはテロとの闘いに不可欠だと主張したり、共和党のマーコウスキー上院議員が、アラスカの野生生物保護区での石油開発の必要がテロによって証明されたと主張するなど、「テロ撲滅という大義を装った昔ながらのご都合主義」を「注意深く見分ける必要」を説いた。
 そのコラムで彼女は、日本のテロ対策法案について「アーミテージ米国務副長官は、日本に『ショー・ザ・フラッグ』(立場をはっきりさせろ)と告げた。この発言をきっかけに、小泉純一郎首相は急ぎテロ対策法案をまとめ、日本の護衛艦をインド洋に派遣しようと躍起になっている」が、「昨年の『アーミテージ・リポート』で、彼は日米の軍事協力の緊密化や防衛支出の拡大を提言し・・・日本国憲法の解釈を変え、憲法改正も検討すべきだとも主張し」たのであり、「ブッシュ政権が日本に大胆な行動を期待するのは、それがテロとの戦争というより、アジアの安全保障の枠組みと関係があるからだ」と指摘した。そして前例を打ち破ろうとしているのはアーミテージだけではなく、「(テロ事件)以前から、靖国参拝を強行し、学校の日の丸掲揚を支持し、物議をかもした歴史教科書に不快感を示さなかった」小泉自身だと喝破している。
 日本のテロ対策法が戦争を利用した「怪しい便乗」(同上)であることは、アメリカ中道派の目にも明らかなのだ。

平和主義的孤立主義

 にもかかわらずテロ関連三法は、議会の内外をとわず、さほどの抵抗もないまま短期間の審議で成立した。もちろんそれは、法案に反対した共産・社民両党が少数派で、民主党も自由党も条件つき賛成派であったという議会内の力関係の結果ではある。
 しかしより重要なことは、報復戦争とテロ対策法案に反対する大衆運動が反対派政党の支持者以上にはほとんど広がりをみせず、PKO法案反対運動のような大衆的高揚も現れなかったことであろう。
 ではいったい労働者民衆の、自衛隊の海外派兵に対する批判的反応の弱さは何に起因するのだろうか。
 ひとつは言うまでもなく小泉人気である。小泉改革への「抵抗勢力」の一部と見なされている共産・社民両党への支持が、たとえテロ対策法反対であれ小泉改革を挫折させるかもしれないとの不安や、深刻な不況に目を奪われて海外派兵問題などにかかわっていられないという意識が、労働者民衆の多数に、テロ対策法案反対の意志表明をためらわせた可能性は否定できないからだ。そして少なくとも護憲よりと言われてきたマスコミ各社の報道には、ためらいが見えた。

 だがもうひとつの理由は、共産・社民両党に代表される戦後革新勢力が、反戦平和運動の基本的指針として掲げてきた「平和憲法の擁護」が9月のテロ事件によってほとんど無力化され、労働者民衆の批判的反応を呼び起こすイニシアチブの空白状態が生じたためではないだろうか。
 言い換えれば、日本が「戦争に巻き込まれる危険」に警鐘を鳴らし、実態としては日本の一国的平和だけを守るために、あらゆる国際的紛争の局外者であるべきだと主張する平和主義的モンロー主義に依拠するかぎり、テロにも戦争にも反対する戦略的な対案を提起し、現実的で実効性のある実践的活動のイニシアチブをとることはできないであろうということである。
 なぜなら9月のテロ事件は、「一国が国民を守れる時代が終わ」り、「『安全』とは世界が安全であること」(ATTACニュースレター101号)以外にはないことを、衝撃的惨劇とともに全世界のまえに暴きだしたからである。そのうえ、このテロを育んだグローバルな経済活動の有力な舞台であり担い手でもある日本資本主義だけが、国際的ネットワークを形成するテロリストの標的にならない局外者であることは、実際にはまったく非現実的でもあるからだ。
 しかし国会論議とマスコミ報道に代表されるテロ法案をめぐる論争は、9月のテロ事件が世界に突きつけたグローバル化した危険の現実や、グローバル経済が蓄積した国際社会の矛盾をまったく無視するかのように、千秋一日のごとき違憲論争と自衛隊の派遣範囲や武器使用の問題などに終始し、「常識でやりましょう」などという小泉の無内容な答弁に押し切られた感は否めない。

想像力の貧困と無知

 ところでテロ関連三法案をめぐる論争に欠けていたのは、「一国が国民を守れる時代の終わり」という新しい情勢認識だけではなかった。
 そこには、戦時の他国に自衛隊を派遣するというすぐれて政治的な行為が、日本社会にもたらすかもしれない政治、経済、社会に及ぶ影響を具体的に想定・評価し、その対応策を講じておくといった、軍事というリスクの高い政治的行為についてのリアリな認識もまた欠如していたのである。
 もちろん国会でも、前線と後方支援は必ずしも区別されないし、武装した野戦病院が襲撃される危険性など戦争の現実が指摘されはした。だが「危険な場所に行くのだから武装は当然」とか「自衛の範囲内での武器使用」といった、軍事をもてあそぶような非現実的答弁を繰り返す小泉政権の無知と無責任を暴くようなラディカルな論陣は、法案反対派からもついに現れなかった。
 例えば、派遣が見送られたとはいえ、野戦病院が本当に襲撃されて自衛官に多数の死傷者が出たとき、日本政府は何らかの報復に訴えるか外交的な抗議で済ませるかの幅で、厳しい選択を迫られることになる。それはインド洋に派遣した自衛艦が、パキスタンなどの港湾でアメリカの駆逐艦と同様のテロ攻撃を受けた場合も同じである。
 戦闘地域の近隣に自衛隊を派遣する以上、こうしたリスクを排除はできない。もっともタリバーン政権が崩壊すれば報復の相手はなくなり、港のある国の政府に抗議するのも筋違いの印象をまぬがれない。
 だがこうした事態を想定さえしていない小泉政権が、事実上なんの対抗策もとれなければ日本外交の国際的評価は下がり、テロリストにさえあなどられることになりはしないだろうか? あるいは政府の無策に激高した民族主義者がアラブ人やイスラム教徒を標的に報復に訴える可能性はないだろうか? かりに民族主義者による襲撃事件が起き、アラブ諸国の怒りが犯人引き渡し要求にまで発展したりしたら、政府と外務省はどう対処するつもりなのだろか。
 そうした事件は、中東諸国とアメリカの関係改善の仲介役という、ブッシュ政権にも期待される日本外交のアドバンテージに重大な打撃を与えることにはならないのか? つまるところ自衛隊を派遣した結果として外交上の難題に直面したとき、政府・与党には対応策の用意があるのだろうか。
 これはほんの一例に過ぎない。イラクなどへの戦域拡大に追随して日本が派兵を続行しても、中国やアジア諸国は不快感をしめさないだろうか? それは経済摩擦に転化しなだろうか? だが日本はアメリカの要請をはねつけて撤兵できるのか? 考慮すべき問題は文字通り山ほどある。
 危機管理とは、こうしたあらゆる最悪の可能性を考慮して備えることであって、公安警察や自衛隊の権限を強化したり活動範囲を広げればいいものではないのだ。
 いずれにしろ武装した自衛隊を戦時の外国領土に派遣することは、政治や経済を巻き込む報復の連鎖を引き起こすリスクを積極的にとることを意味するのだ。それは最終的には、海外での軍事的行動の合法化をふくむ新しい政治的決断に次々と迫られることであり、明快な見通しに裏打ちされた冷静な判断がなければ、「交戦はしない」などという小泉のとぼけた口約束など瞬く間に脇に追いやられるのは必至である。これが軍事の力学なのであり、「戦争は違う手段による政治の延長である」ということなのだ。
 ところが小泉はじめ法案に賛成した与野党の国会議員たちは、最悪の事態を熟考した上での決断も、だからまた外交的失態に対する責任をとる用意もなしに「戦闘地域の近隣」に自衛隊を派遣することを大急ぎで決めたのだ。軍事に対するリアルな認識のない、平和ボケした無責任な最高指令官の命令で、生命を危険にさらすことになる自衛官こそがいい面の皮である。
 それは小泉や法案賛成派ばかりか、残念ながら反対勢力にも共通する、戦後の日本政治に染みついた軍事に関する無知と想像力の貧困を浮き彫りにしている。

反グローバリゼーション運動

 だがもちろん階級的労働者は、こうした事態に落胆しないしする必要もない。
 それは小さいながら日本にも、9月のテロ事件以降の新しい情勢認識にもとづいて、報復戦争反対と反グローバリゼーションの闘いを一体のものとして展開する国際ネットワーク・ATTACに連なる運動が現れ、ややもすると個別的な課題に埋没する傾向の強い非政府組織(NGO)諸団体の間にも、反戦・反グローバリゼーションの共同行動の機運を作り出しつつあるからである。
 また平和ボケした国会審議を尻目に、アフガンの医療援助で実績のあるNGO・ペシャワール会と親交のあった社民党の阿部・辻本の両国会議員が、アメリカ軍による爆撃下にあるアフガン避難民に食料を送るためにパキスタンにわたり、その後も食料援助を継続するための「いのちの基金」運動に積極的な関与をつづけ、「憲法が国境をこえる」意識展開を訴えているのも戦略的対案のための新たな可能性のひとつである。

 そうしたなかでも注目すべきことは、9月のテロ事件以降アメリカが愛国主義的な熱狂でおおわれ、アフガンのタリバーン政権に対する軍事報復が着々と準備される状況のもとで、国際自由労連(ICFTU)が、カタールのドーハで開催される世界貿易機構(WTO)の第4回閣僚会議に合わせた「労働組合の世界行動デー」を、予定通り行うことを呼びかける決定を行ったことである。
 ブッシュ政権をはじめ、WTOの中枢で身勝手な通商ルールを決める実質的権限をもつ欧米諸国が、テロに反対する者はすべからく自由貿易体制を支持すべきだとのキャンペーンを展開するなかで、「グローバリゼーションが世界の労働者に及ぼしている否定的な影響を労働組合は受け入れないことを示し、現在の世界貿易システムの重大な欠陥にについて関心を高めること」(ビル・ジョーダン国際自由労連事務局長)を目的とする労働組合の世界行動が予定通り決行されたことは、たとえそこに戦争反対が明示されず、なおWTOの改革要求という限界があったとしても、9月のテロ事件による否定的影響にもかかわらず、労働組合がグローバリゼーションとの対決で後退しないことを明らかにした点で、重要な動きであったと言える。
 日本の階級的労働者は、こうした労働者の国際的運動との連携をつよめて、自らの役割をはたすために闘うことを求められているのである。

(さとう・ひでみ)


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