第四インターナショナル日本支部再建の闘いに結集することを呼びかける

([労働者の旗」創刊準備1号 1988年3月10日 所収)


 われわれは、第四インターナショナル日本支部であった日本革命的共産主義者同盟の政治的崩壊を痛苦のおもいで確認せざるをえない。

 13期3中委(第3回中央委員会)から5中委の過程が示した同盟中央委員会の決定と態度は、多くの国際革命の先輩たちが死をもって守り抜いてきたボルシェヴィキ・レーニン主義=トロツキズムの革命的伝統を捨て去ったものであり、そのことによって第四インターナショナル日本支部の革命的存立基盤を最終的に崩壊させてしまった。

 われわれは『女性解放グループ』の財政通告を無条件に受け入れた3中委の決定が、革命党の存立基盤を根底から解体する性質のものであることを確認した。だがその事実をもってわれわれは、ただちに日本支部の革命党としての最後的崩壊を即断したわけではない。
 われわれは、同盟内部に存在するであろう革命的内部改革の闘いとエネルギーに期待しつつ、3中委決定撤回のための闘いを3中委から5中委の期間闘い抜いた。 だが3中委から5中委にいたる闘いの結果は、残念ながら同盟中央委員会の政治的堕落が、自己変革不能の段階にまで陥ってしまていることを暴露した。それだけではない。同盟中央委員会の政治的堕落と崩壊の現状は、同盟の現状に批判的で危機感をもっている同盟員を、むしろ同盟組織から分散させ、政治的風化や革命党そのものへの不信へと追い込む結果をもたらしている。
 われわれはこうして同盟中央委員会の政治的堕落と同時に、同盟組織総体の構造が革命的内部改革の基盤を喪失させていることを自覚せざるを得なかったのである。

 革命党の存立にかかわる重大な決定にたいして、3中委から5中委の期間を通じて、一つの地方委員会からも、一つの地区委員会からも、さらに、××を唯一の例外として一つの細胞からさえも、3中委決定撤回要求の決議や異議申し立てがなされはしなかった。この事実は、生きた革命組織にとっては驚くべきことであり、この組織の政治的死を意味するものであった。このことは同時に、われわれの政治的崩壊を自覚させられることであり、耐え難い痛苦な真実である。
 だが今日われわれに必要なことは、この真実を率直に認めることである。なぜならわれわれは、革命党としての存立基盤の崩壊という同盟の現実をなんの幻想もなく自覚することなしには、日本支部再建のための、真に自覚的な闘争を出発させることはできないと考えるからである。

 われわれは、この闘いの過程と到達した自覚のうえに、累積している政治的、思想的負債を自ら背負い、日本におけるトロツキスト党再建のための闘いに立ち上がることを決断したのである  われわれは分派闘争の過程で、また分派内論争の過程で、われわれの主張を同盟員に伝えることができないできた。いまここで、われわれは自分に課せられた焦眉の任務として、われわれの結論をアピールする。
 われわれは続いて、可及的速やかに、論争過程の報告を含めたわれわれの主張を全面的に展開し、再建の闘いへの一歩を踏み出そうと決意している。

▼13期3中委決定と解党主義への転落

 @13期3中委は、「『女性グループ』に所属するメンバーの同盟費、夏冬一時金カンパを『グループ』が集め、グループの活動費を差し引いた残りを一括JR中央に上納する」との『第四インター女性解放グループ』からの財政通告を無条件に受け入れることを決定した。さらに、同『グループ』が、同盟員でないものをないものをその構成員に含めるという立場にたっているということについてもなんら明確な態度を表明することができなかった。『第四インター女性解放グループ』 の中央委員会への通告は、「組織」と「女たち」の不一致、「告発者防衛」と「組織機関防衛」の衝突という同盟の破綻の現状のうえに、女たちが女たちとして生きのびるための《選択》であり、これ以上「男組織によって抑圧と分断の手段につかわれる」ことを拒否するという、女性の政治的自立のための自己防衛の表明であった。

  われわれは、『女性解放グループ』のこうした通告に対して、その政治的、組織的根拠を理解し、そこにはらまれている問題提起の意味を同盟再建の根幹にかかわるものとして受けとめようとする。

 同盟員によってひきおこされたレイプは、同盟の思想的団結の根幹を破壊した。この自覚のうえで同盟は、それを政治的、思想的、組織的に克服することを問われ続けてきたのである。しかし中央委員会をはじめとする同盟機関は、組織防衛の名のもとに女性からの告発を抑圧し、自らの総括にもふみこめず保守的で受動的でありつづけた。われわれは、こうした同盟の保守的、受動的現状を克服しないかぎり『女性グループ』の選択の政治責任は、基本的に同盟機関の側にあると考える。 『女性グループ』の通告を、われわれは、彼女たちからする同盟への革命党失格の宣告であり、財政への態度を通じた解党表明ですらあると受けとめねばならない。

 Aしかし組織内女性差別問題にかんする総括に自らふみこめず受動的でありつづけている同盟の政治的破綻の現状を自覚することと、中央委員会が彼女たちの通告を受け入れることとは、組織的には別のことである。なぜなら『女性グループ』の通告を受け入れることは、第四インターナショナル日本支部の革命党としての立脚基盤を自ら否定することにつながるからである。

 革命党の「組織原理」は、レーニンによって指導されたロシア・ボルシェ ヴィキの革命的戦いと、その試練によって鍛えられ獲得されたものであった。 第四インターナショナルが革命的伝統の核心として継承した革命党に関する基本概念は、まさにこうして獲得されたボルシェヴィキ規約第一条の中に凝縮して示されており、日本支部の同盟規約第二条に今日ひきつがれてきたのである。
 革命党の党員資格の厳密さの必要性は、革命党が、あるがままの階級から完全に独立することを前提にしてのみ成立するということに他ならない。活動の全領域に組織される中央から細胞にいたる革命党の基本組織は、あらゆる領域における党活動の独立性を保証するための不可欠の基盤である。革命党員の資格が、党の基本組織に所属し、その基本組織の義務と決定にしたがって行動することを条件としているのは、まさに党と階級のこうした基本的関係のあり方に根本的に由来するのである。
 そして、革命党のこの組織原理は同時に、ブルジョア国家権力を打倒し、プロレタリアートを権力へと組織しようとするプロレタリア独裁の綱領的立場と一体のものである。

 B『女性グループ』の財政通告を無条件に受け入れた3中委決定は、まさにボルシェヴィキ・レーニン主義=トロツキズムの革命的伝統を否定し、日本支部の革命党としての立脚基盤を自ら放棄しさったものである。こうして3中委決定は、中央委員会が解党主義の立場にたったことをあきらかにした。
 しかもこの中央委員会の解党主義への転落は、軽はずみな思いつきによってひきおこされたのではない。この結末は、綱領的・政治的崩壊過程の帰結としてとらえられねばならない。

 革命党にかんするレーニン主義的概念は、「プロレタリアートこそ唯一の革命的階級である」との確固とした確信によってうらづけられているのである。中央委員会の解党主義への転落の根拠はまさに「革命的階級としてのプロレタリアート」というマルクス主義の歴史観への動揺を政治的思想的根拠としたものである。
 階級史観の動揺の根拠は、全民労協から全民労連への発展と総評の解体という事態が、組織労働者のさしたる抵抗もなくブルジョア国家へと抱摂されていく現状、一方主体的には労働現場における権力との日常的衝突−三理塚反処分闘争における同盟の政治的敗北と組織的解体、さらに「組織内女性差別問題」で典型的につきだされた同盟の思想的破綻という事態に大きく規定されたものであった。
 同盟は、こうした同盟主体の政治的敗北、組織的解体を総括するキー概念を「階級の敗北」論にもとめた。「階級の敗北」論は、今日の敗北の根拠を20年代−30年代の階級の歴史的敗北の帰結として描きだした。
 そして、そのことは、「階級対階級の対立の基盤にたいする確信の喪失」、「過渡的綱領の今日的適用への疑心」「帝国主義の一方的核廃棄」や「革命的祖国敗北主義」への反発や動揺となって帰結していくこととなった。

 一方第11回大会以降、「組織内女性差別問題」の克服の道筋が見いだせないなかですすんだ同盟の思想的混乱は、フエミニズムの側からの階級対立と性差別の二元論的定義にたいして、基本的に判断不能の事態をうみだした。

 同盟のこうした、政治的動揺の基本的性格は、まさに「革命的階級としてのプロレタリアート」というマルクス主義の根本テーゼにかかわる問題であった。この理論的動揺の現実への適用がほかでもなく、11・7政治局確認(1985年政治局会議、Iの労働情報派遣拒否の決定)であり、12期6中委における労働情報組織委員会を事実上否定する決定であった。そして、まさにこの立場の党組織問題への適用が13期3中委−5中委での中央委員会決定の本質であった。  三つの中央委員会は、同盟が自らの思想的動揺を政治的立場へと転換させたことを意味した。3中委決定によるレーニン主義的党建設の核心テーゼの放棄は、まさにマルクス主義、トロツキズムにたいする綱領的確信の喪失と一体的に推し進められたのである。

▼13期4中委と同盟中央委員会の官僚主義への転落

 Cトロツキスト党を自認する同盟中央委員会が解党の立場にたつという驚くべき危機にたいして、われわれは、13期4中委において寺岡動議を提出し、3中委決定が同盟規約第2条に抵触することに注意を促し、3中委決定の撤回を要求した。あわせて、規約凍結は全国大会だけがなしうるものであり、全国大会の開催を検討すべきであると提案した。だが4中委は、寺岡動議を全面的に否決した。3中委における誤りは、ここにいたって、自覚的な解党の立場=解党主義と、規約に拘束されない中央委員会の権能の立場=スターリニスト的官僚主義にふかめられたのである。 13期5中委は、さらに一歩をすすめて、「4中委の寺岡動議否決を誤りとし、解党主義と官僚主義を自己批判して、3中委決定を撤回せよ」という島村動議を、討論する必要すら認めようとしなかった。13期5中委は、島村動議の無視をつうじて、解党主義と官僚主義を中央委員会の立場として再確認したのである。

 D4中委における最大の特徴は、3中委決定が革命党の組織原理と対立し、第四インターナショナル日本支部の規約に抵触違反していることを自覚しつつ、その「撤回要求」を否決したことである。
 4中委における討論の特徴は、3中委決定が同盟規約に抵触するとの主張にたいしてなんの反論もだされなかったことである。いく人かの中央委員は、3中委決定が規約違反であることに同意した。
 中央委員会は、いつから規約違反の決定を独断で強行しうる特権をもつこととなったのか。こうした中央委員会の独断・決定の瞬間から同盟規約は、全同盟員にたいしてその拘束力を失い党成立の共通の規範たりえなくなった。そうでないとすれば、中央委員会は、規約違反を許され、下部同盟員は、規約に拘束されるという規約の二元論的な使いわけがまかりとうることとなる。規約はすべての同盟員と機関に平等に適用されなければならず、こうした中央委員会の官僚的ご都合主義は、絶対に許されてはならない。

 さらに4中委は、規約凍結が、全国大会の承認を必要とするとの提案すら念入りにも否決してしまったのである。こうした事態を許すならば中央委員会がすべての党運営を規約を無視して独断的に強行しうる権能をもつことになる。スターリニストの官僚独裁の手法は、党の異例の緊急事態を口実に規約を無視して機関独裁を強行し、普遍化・定式化していくことではなかったか。3中委決定撤回要求の4中委における否決は、革命党の組織原理を放棄しながらそれを正当化し、合理化しようとする論理が、いかに官僚的堕落の道をはき清めるものであるかをあきらかにしたものであった。

 4中委は、こうしてスターリニスト的な中央委員会独裁に道を開くこととなったのである。

 E同盟を存立させる前提である規約を自らの手で解体してしまいながら、なをかつ組織的維持を保守しようとするならば、官僚主義的手法をとりいれていくこととなるのは不可避である。

 5中委は、 ついに島村動議の正当な取り扱いさえ拒否してしまった。中央委員会の官僚的堕落はここに極まったというべきである。

▼女性差別を克服する主体の放棄と、階級的ナショナルセンターの挑戦からの召還

 F3中委に提出された政治局多数はの文書は、『女性解放グループ』の通告の受け入れの立場を次のようにのべている。「受け入れるということは、何かほかの選択肢があって、受け入れる受け入れないと判断するというよりは、現実を現実としてとらえるという姿勢」なのだと。  これはもはや完全な判断停止であり、革命党としての主体性の放棄の姿である。70年代同盟の「組織」の「差別抑圧温存構造」は、70年代の急進主義運動と大衆運動主義的に結合するために、理論的・組織的明確さを犠牲にしてきたことに根拠をもっている。組織は大衆運動の必要にあわせてつくられ、大衆運動の必要にあわせて理論が意識される。職場細胞を建設できなかった事実がそれを象徴している。同盟に「権威主義」と「受動性」を再生産する基盤が作られた。  この、現実への無批判な追随こそ、組織内の「差別・抑圧」構造をうみだし、同盟建設が破綻する決定的要因となった。
 レイプ問題を契機とした女性同盟員の積極的な告発の闘いは、現実状況への無批判ななれあいと追随がうみだした同盟の「抑圧」「差別」構造に、激しく衝突せざるをえなかったのである。これが女性の闘いに対する4−5五年間の同盟機関の対応であったし、その結果『女性グループ』は「革命党」そのものに対する不信を拡大し、一時的なものであれ、客観的には解党の方向を選択せざるをえなくしてしまったのであろう。

 同盟中央委員会の「受け入れる」という立場は、まさに革命党建設の原則的立場を放棄し、女性たちへの受動的追従によって同盟の差別温存構造を克服しうるどころか、その闘いの出発点にたつことさえできないことを明らかにした。
 現実への批判をとうして獲得する党の階級からの独立の闘いこそ、党を権威主義や受動的追随主義の弊害からまもり、党機関の抑圧、差別の構造を不断に克服していく闘いの源泉である。
 だが女性差別問題をとうしたイデオロギー的崩壊を組織的分野において追認した中央委員会は、女性差別問題を解明・克服し、階級意識の独立形態としての同盟を再建する主体であることを自ら放棄したのである。  同盟は、3中委決定とその克服の闘いの放棄をとうして女性差別問題を克服できないことを確認せざるをえないところにたったのである。

 G3中委から5中委をとうして完成した同盟中央委員会の解党主義の立場は、1985年11月7日政治局確認と12期6中委における労働情報組織委員会の否定という同盟の階級的労働運動からの召還と敵対の立場を克服しえないことを最後的に示したものであった。
 そして第四インターナショナル日本支部は、この独立左派、革命左派の階級的ナショナルセンター形成にむけた主体的努力の開始にあたって、その一翼をになう政治党派としての基盤を解体してきた。

 それは必然的であったといえよう、なぜなら左派労働運動がナショナルセンター形成にむけた挑戦を開始しようとしたその決定的な瞬間に、それから召還し、敵対したからであり、結局この2年間を通じて11・7政治局確認と、12期6中委決定の立場を克服することができなかったからである。  それは同盟組織の実践としては、まず国鉄闘争│あの歴史的な国労修善寺大会、国鉄労働者の日本帝国主義との全面対決の闘いへの不信、そして召還としてあらわれた。
 10月集会への対応力の崩壊は、まさにこの国鉄闘争からの召還の直接的結果であった。
 10月集会にたいする同盟のこうした結果は、われわれの2年間の闘争がもはや従来のあり方では不可能であることをあきらかにした。

 階級的ナショナルセンターをめざす10月会議の運動を支え発展させていく任務が、革命党の労働現場における組織された力に課せられている。われわれは、11・7政治局確認、12期6中委の立場との対決を通じてのみ、10月会議の運動に参加し積極的にそれを推進することができる。  

 だが3中委は、11・7政治局確認と12期6中委の立場を解党主義の立場へと進化させ、階級的労働運動のための挑戦に再度の召還と敵対を表明した。 階級的ナショナルセンター形成を目指す10月会議の闘いは、まさにそれから解党主義的に召還する日本支部の政治的崩壊を決定的なものにした。

▼同盟の綱領的・政治的崩壊を確認し、日本支部再建の新たな闘いに結集しよう

 Hわれわれは、2年余の闘争を通じて同盟の綱領的、政治的崩壊を最後的に確認することとなった。われわれが日本支部再建の新たな闘いを呼びかけるのは、綱領的、政治的に崩壊をした同盟と政治的、組織的な一線を画することなしには、ボルシェヴィキ・レーニン主義=トロツキズムの成果を革命的に継承することができないと考えるからである。
 同盟の綱領的、政治的死を宣言し日本支部の新たな再建を呼びかけるわれわれの立場は、いうまでもなく同盟の内部改革をめざす分派闘争の枠を明確にこえるものである。こうしたわれわれの決断によって同盟内分派としてのプロレタリア派は新たな政治的分解をとげた。

 Iプロレタリア派の深刻な内部対立が顕在化したのは、4中委の評価をめぐってであった。寺岡・吉行は4中委における中央委員会の解党主義的転落を確認し、「中央委員会への態度を保留し抗議の意をこめて退場」した。
 一方政治局を辞任した××ら三名は、辞任後も「中央委員会にとどまる」ことを表明した。
 解党主義、官僚主義に陥った中央委員会を正当な中央委員会として承認することができないとする寺岡・吉行と、中央委員会を認知し、中央委員として活動するという××ら三名の立場は明確に対立した。
 中央委員会の評価をめぐるこうした対立が、日本支部の新たな再建を決断する立場と同盟の協議会化を基盤として「公然たる分派闘争」を主張する立場へと分化した。  われわれは、「公然たる分派闘争」論が自己の見解の大衆的な表明にとどまらず、行動の独自性…分裂をも要求するものであればそれは明らかに分派の枠をこえていること、さらに同盟の協議会化を同盟再建の基盤として位置づけようとするのであれば、それは革命党の組織概念からの逸脱を内包していることなどを批判し、5中委では、多数派がどうしても3−4中委の誤った態度を変更しないならば、彼らと政治的、組織的一線を画すこと=分裂も辞せず闘いぬこうと主張した。
 しかし、××ら3名は5中委をボイコットすることによって多数派の誤った立場と対決し衝突することを回避し、結局島村ただ一人が「4中委の寺岡動議否決を誤りとし、解党主義と官僚主義を自己批判して、3中委決定を撤回せよ」との動議を提出し、中央委員会は、これの討論の必要すら認めようとしなかったのである。

 Jわれわれは、同盟理論を通じて自明のものとしてきたマルクス主義の主体的再把握を不断におこない、マルクス主義の防衛のための闘争を貫徹することを通じて革命的な理論的・原則的明確さを基盤とした党建設の事業に挑戦する。それは、第四インターナショナルの革命的伝統のうえに日本支部を再建することである。
 「連合」が発足し、日本プロレタリアートの運動は歴史的転換期にはいった。左派ナショナルセンターを目指す自覚したプロレタリアートの闘いが粘り強くくりひろげられている。要請されているのは、理論的、政治的イニシアチブであり、運動的基盤をおしひろげることである。これをつうじてトロツキズムを日本プロレタリアートに根づいた革命的・大衆的潮流へと築きあげるために闘うことである。
 われわれは、それが長期の粘り強い闘いになることを自覚している。だが自らの負債の結果でもある困難を前に尻込みしていたら、行く手に待ち受けるのは政治的腐敗であり、日本におけるトロツキズムの消滅である。われわれには第四インターナショナルの担い手として、その革命的伝統を擁護し、たとえ代をつぐことになろうとも、世界永久革命の党をつくりあげる義務が課せられている。

 われわれは、この自覚にもとづき、自覚したプロレタリアートと共に、第四インターナショナル日本支部再建の闘いに着手するものである。

 われわれの基本的な認識はひきつづく諸文書を通じて同志達にあきらかにされる。

 トロツキズムと第四インターナショナルの旗のもとに、日本支部再建をともに闘いとろう。  トロツキズム万歳!  第四インターナショナル万歳!

1987年12月1日

亜紀ゆたか
石井 信夫
大村 益次
梶井 志乃
川上 武彦
島村 公一
寺岡  衛
西山 次郎
藤原 次郎
村上  勇
村田  明
吉行 武志
矢口  俊


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