【特集・秋葉原殺傷事件3】

アトム化と孤立を生み出した多様なコミュニティーの崩壊

−「コミュニティーの核」となる小中学校再生の試み−

(インターナショナル第181号:2008年7・8月号掲載)


▼教育制度だけの問題ではない

 諸々の報道では、この加害者の生い立ちから事件の当日までの動きを報じている。その内容を簡単に整理しておくと、@優等生で過ごした小中学校時代、A名門といわれている青森高校での挫折、B専門学校の時期と派遣社員の時期、Cメールの投稿と内容(事件当日まで)となる。
 これらの中で彼は、優等生であった事は、親の強制と援助で優秀な成績を修めたに過ぎず、自分の力でないと告白し、後には親の傀儡に過ぎなかったことを強く憤り、親への復讐を今回の犯行の理由の一つに挙げている。また、青森高校での挫折は、自分の学力の弱さと併せ、周囲のクラスメートへの強い劣等意識が芽生え、その後社会人になって失職を重ねていく中で増幅していく。「負け組」を自称し「勝ち組」を呪い、誰でもよいから殺す計画を企て実行した、という。
 この限りにおいて、身勝手な反社会的な人間に育った理由は何かということが、事件の背景ということになる。
 一般的には「教育制度」と「競争主義」をその背景にあげているが、それはそれで、その通りであろう。
 教育制度が大きく改変され、その移行期に彼は身を置いているからだ。この教育制度の改編によって生み出された世代は、いわゆる「失われた10年」と、それに続く小泉改革路線の時期と重なるのである。そして「生きる力」に象徴される「ゆとり教育」が導入されてくるのである。
 しかしその内実は、長い間蓄積された知識獲得の体系を分断し、相互の連携を無視した知識のばらまきを敢えて教育課程の中に据えて、一方では個人のやる気と努力による学力獲得という、「競争主義」の導入という相反する教育体系の実施にあった。
 その行き着いた先は、全国で実施されている『習熟度別学級』の実施であり、「自己責任」を強調した教育の実施である。こういう中で、公立高校と私立高校の激烈な生徒獲得競争が展開され、より一層の「競争」が展開されているのが現実である。こうして「勝ち組」を目指す親と子どもは、小中学生は言うに及ばず、高校生でも塾に通い、家庭教師の導入が通例となっている。
 しかし大多数の子どもは、親の「熱意と教育投資力」の限界のために、結果的に「負け組」(この言葉を遣うことに躊躇があるが、事件の報道によく使われているので使用する。「勝ち組」も同様である)に甘んじる事になっている。
 早くから「負け組」に選別された子どもやその親は、深く傷つき、あきらめ、「負け組」に用意されたさまざまな進路を選択せざるを得ない。

▼学校の在り方が問われている

人間の成長過程で、学校教育は大きな役割を果たしている。
 学校は、子どもと教師と保護者の三者で成り立っている。基本的にはそれぞれの関係がうまく機能してはじめて、教育の成果につながる活動が行われる。そして地域の住民のさまざまな関わり方が、その質を豊にもし、貧しくもしている。
その学校教育の役割は、今日的には大きく変貌してきている。
 前述のような社会の大きな変容と、教育制度の改編に起因していることは明らかであるが、現場である学校も確実に変貌し、本来的に学校教育の果たして来た役割は失われてきている。
 学校教育の役割は、 第一に、集団の中で個を育てる(人間教育・学力)ことであり、第二に、自治を行う力を育て、〃民主主義〃や〃共生〃を学んだ、次代を担う若者を育てることにあった。
 しかし今、この教育概念が急速に現場から排除されている。その事を強く意識している時に、次々と悲惨な事件が起きている。今回の事件もその一つである。
 1999年の池袋や下関など、幾多の無差別殺傷事件からは、社会や家族によって追い込まれた人間の絶望的な叫びが聞こえてくる。なぜ、そうなってしまうのか。
 改めて、人間関係の「アトム化」という状況が思い当たる。
 人間は職場、学校、地域社会そして家族の中で、互いに人間関係を結び、自分の生き方や思想を培ってきた。また、生きるエネルギーを得てもきた。
 しかし思うに1980年代以降、人々を結びつけてきた『場』(サークル)が次々と消滅し、あるいは変容してきている。「労働組合」であったり、生き生きとした自主的活動を保証していた「生徒会」であったり、「PTA」もその一つであっただろうし、地域社会にも人々つなげる多くの場があったのである。そして家族の中にも、相互扶助の具体的な活動と学習の場があった。
 しかし現在は、この『場』を意識してつくろうとする動きは少なからずあるが、成功しているとはいえない。つまりはほとんどの日本人は「アトム(原子)」の状態で、深い孤独感の中にいると思われる。この最も顕著な現れが、『鬱病』の急増ではないか。
 かくいう私の娘もこの病にかかり、専門学校を中退し、未だに仕事に就けないでいる。この原因・背景を考察したとき、私自身と家族の在り方が思い当たった。
 転居や多忙を理由に、家族との関係を維持しようとしてこなかった自分の生き方が、娘の「生きる力」を奪ったということを痛感した。やり直しはきかないが、新たな関係を築くことが私の最大の課題である。
私事に文面をさいたが、日本のどの家庭・学校・職場でも、同様の事態が進行していると感じざるを得ない。私の出会った幾人もの子どもや親が、この病に苦しんでいた。

 ところで、秋葉原事件の加害者は、人間関係を築けずに、他者との関係の結び方を取得できないまま青年期を迎え、挫折してしまったと言える。この加害者と同様の状況は、いくつもの実例を知っている。他者を踏みにじることで、かろうじて自己を維持している子どもを多数知っている。
 しかし、社会や親を敵として無差別に人を殺傷する事件は希である。それでも、このような事件を生み出した背景は、教育制度だけにあるのではなく、新自由主義によって再編された社会の、行き着いた先を示していることについては間違いない。
 このような中で、親は企業戦士として、なりふり構わぬ会社の利益第一主義の尖兵なって身をすり減らし、リストラからの生き残りのために、時には仲間を裏切る生き方をしてきたのである。その子どもの世代は、明らかに「新しい特徴」を発揮している世代である。であるからこそ、加害者の家庭や親の責任を明らかにするためには、個別「加藤家」だけを問題にするのでなく、社会の有り様を分析し、現代社会の「矛盾」を追求しなければならない。
 ますます「アトム化」する現代日本では、「限界集落」という言葉に象徴される、地域社会の崩壊の進行が止まらない。無能なうえに、『自己責任』という、自分の身の回りのことにしか思考の範囲がおよばない資本家・政治家・官僚は、ますます『自己責任』という保身に走るだけである。
 そして今回の事件の対応は、銃刀の規制と監視社会への移行、さらには道徳教育の強制に向かっていることは確かである。この結果は、虚ろな人間関係や倫理性しか生み出すことはない。

▼新しいコミュニティ−の構築

では、どのようにして新たな社会や人間関係を作り出すことができるのか。
 教育制度に係わって筆者が体験したことから述べるならば、「新しい学校」を作ることである。 それは、地域的コミユニティーの核としての学校である。
 明治の学制発布の折り、地域は自らの手で小学校を創出した。手弁当で校舎建築まではせ参じたエピソードは事欠かない。つまり地域コミュニティにとって、学校とは地域づくりの核だったのである。
 今また地域が崩壊していく中で、学校の閉校は、まさしく地域崩壊を象徴する出来事になっている。都会のど真ん中でも、へき地でも、どんどん学校が消え、効率化の名の下に学校の統合が進み、学校給食のセンター化も進んでいる。
 秋葉原事件の加害青年の出身地・青森県でも、この数年で90にもおよぶ小中学校が閉校になった。
 こういう傾向の中で、「地域(村)から学校が消えることは、地域(村)が消えることにほかならない。学校は絶対に存続させる」と考える地域が少なからずある。

 人口500人の、高知県大川村もそうである。四国の水瓶である早明浦ダムの建設で、村の中央部はダムに沈んだ。この村の学校は、あと数年もすれば子どもがいなくなるという、「限界村落」である。あまりに人口が少なくへき地であるが故に、隣接する市町村はどこも合併しようとしない。
 若者が将来を悲観し、都会に出てしまうという危機感を抱いた教育委員会は、発想の転換を行って3つの小学校と1つの中学校を統合し、大川村立大川小中学校をつくってしまったのである。
 校舎は地元産の間伐材を使い、1階を小学校、2階を中学校とし、教師も小中学校教諭を兼務するというのである。小中一貫教育の学校である。
 これは、地域の住民と対話し、県教委と交渉し、特別施策を引き出した村の教育長の努力があった結果である。
 この学校の意義は何か。いくつかをあげてみると、@逆境を逆手にとって、小中一貫校という特別施策を引き出したこと。現在高知県は、この大川村をモデルに同様の小中一貫校を5校開校しており、まだ増える傾向にある。A小中一貫教育という形態で、カリキュラムを再編成し、学力の向上をはかる可能性が出てきた。B魅力ある学校作りを通して、山村留学を受け入れ、生徒数を確保できる可能性もある。C地域コミュニティの学校という位置づけを行ったこと。
 ここで大切なことは、2006年に「地域コミュニティ学校」という制度が国会で承認された事である。簡潔に述べるならば、地域が決意すれば、財政は国(県・市町村)が保証し、人事権・教育カリキュラムは地域に属するという、新しい形態の学校を創出するための制度である。
 もちろんこの制度は、両刃の剣である。地域が「保守反動」になれば、ひどい学校になってしまう可能性もある。東京・杉並区の中学校が、大手進学塾と提携した有料の補習授業を導入しようとした事は、ある意味でその悪い例と言えるかもしれない。
 しかし、地域的な民主主義が確保できたところでは、永久的に学校の改善を住民の意思で行うことができるのである。これはまさしく地域変革である。
京都府の山間地にある、小中校併せて21名というへき地のPTAは、この大川村の視察で大いに刺戟を受け、「学校再編」の取組をはじめた。
 地元議員を引き込み、教育委員会を突き上げ、住民を組織し、自治会組織を前面立てて市長と交渉し、遂に市長の「小中学校建設」の言質を引き出し、教育委員会と住民の準備委員会の創設まで突き進んだ。
 ところが突然、市の態度が豹変し、計画の破棄と休校宣言が飛び出し、大混乱となった。市教育委員会の豹変は、おそらく「国と府の指導」(財政補助を保証しない)というものではないかと考えられる。
しかし、この地域の住民の意思と行動は、日本の学校制度を作りかえる上で、大いなる可能性を示したことにある。
 日本ではじめて、住民の意思による民主的な学校運営が図られる可能性である。こうした試みを受けつぐ中で、日本の教育の未来が見える。そしてこういう学校で育った子どもは、自分のために必死で頑張る両親や地域住民に感謝し、無差別殺人とは対極の人生を送ることになるだろう。

(7/15:ゆら・たろう)


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