【特集・秋葉原殺傷事件1】
青年はなぜ、殺人鬼に変貌したのか
−背後にある、人を人として扱わない社会−
(インターナショナル第181号:2008年7・8月号掲載)
【特集にあたって】6月9日の「秋葉原無差別殺傷事件」は、大きな衝撃とともに、現代日本がかかえる多くの問題を私たちに突きつけた。
もちろん加害者の犯行は、その背後に何があったにしろ許されざる行為であり、彼はその責任を問われなければならない。だが事件は同時に、派遣労働者を使い捨てにする「労働市場の規制緩和」が、あるいは「勝ち組・負け組」に人間を分別する「競争社会」が、人間の精神に恐るべき恐怖とともに、凶暴な衝動を育む危険性を浮き彫りにもしたと思われる。
衝撃的な事件の背景や、その突破口を探ってみた。
6月8日午後0時10分。東京・秋葉原の歩行者天国に突然2tトラックが突っ込み、5人の歩行者を跳ねて3人を即死させ、さらにトラックの運転手は車から降りて通行人やアルバイト店員など12人をナイフで刺して4人を死に至らしめた。
犯人はその場で逮捕された、25歳の派遣社員の男。彼は5本のナイフを用意し、レンタカーを借りて静岡からわざわざ東京・秋葉原まで足を運んで、17人の人を殺傷した。そして犯人は逮捕後に、「誰でも良かった」「これまでの人生が嫌になった」と、警官に動機を語ったという。
犯行はほんの数分の出来事ではあったが、日曜日の歩道者天国で賑わう秋葉原の雑踏の中を、まったく行きずりの見知らぬ人を次々と襲うと言う、極めて残虐な犯行であった。これとともに事件の異常さを際立たせたのは、犯人が、犯行に至る心の動きと、犯行の計画・準備・実行までの詳しい経緯を、携帯サイトに綴っていたことであった。
そして、彼のサイトには多くの人が訪れて彼とやり取りを交わし、彼が犯罪へと突進していく様を交信を通じて確認しながらも、誰も彼に直接警告してそれを止めようともしなかったことが、犯人を取り巻く人間社会が、人と人との具体的な関係性の希薄な、脆弱なものであることを浮き立たせた。
▼携帯サイトの犯行予告
報道された範囲で、犯行までの彼の心の経緯を辿ってみよう(引用はすべて毎日新聞の報道である)。
犯行を行った青年は、昨年11月から東京の派遣会社から、静岡県裾野市のトヨタ自動車の下請け会社・関東自動車工業東富士工場に派遣され、自動車の塗装の点検などの業務を行って、同社の寮に一人で住んでいた。
しかし同僚の中にも友人もおらず、ただひたすら仕事に励み、携帯サイトで心の中のものを吐き出すという、極めて人間関係の薄い環境の中ですごしていた。実際には仕事環境にも大いに不満であったが、その不満をぶつけたのは、彼の携帯サイトに訪れる見知らぬ他人に対してであった。
そして、携帯サイトの中でも自分を受け入れてくれる人を見出せずに不満を募らせていたところに、6月2日、会社による突然の派遣社員の大量解雇通告(200人中150人の解雇)が行われた。しかし直後の3日に、偶然出会った派遣元担当者から彼自身は雇用継続との通告があり、ここらあたりで彼の忍耐力は切れたようだ。4日の彼のサイトには、「土浦の何人か刺した奴を思い出した」との書き込みがあった。
翌6月5日早朝の書き込みでは、「おれが必要なんじゃなくて、とりあえずクビ延期」と労働者を人として扱わない会社へ不満をぶつけ、その後に会社に現れた彼は、更衣室に自分の作業着がないことに気がつき、「会社はなめてる」と叫んで手当たり次第に物を投げ会社から姿を消した。
この直後のサイトへの書き込みに彼は、明日、福井まで行ってナイフを買ってくることを書いたあと、こう書いた。
「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする。ちょっとしたことで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり。やっぱり人って大事だと思う。人と関りすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし、難しいね。『誰でも良かった』。なんかわかる気がする」と。そして東京にトラックで出かけ、事件を起こすことを仄めかす。
こうして「会社を辞めた」彼は、6月6日早朝の書き込みには「住所不定無職になった。ますます絶望だ」「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」とあり、電車で2万円かけて、片道4時間往復8時間以上もかけて福井まで行き、ナイフを6本手に入れる。そして6月7日には、東京の秋葉原に出かけてパソコンソフトなどを売り払って犯行資金を手に入れる。この時、犯行場所を下見したことがその後の捜査で判明している。そして静岡に戻ってレンタカー会社で2tトラックを借り入れる。
事件当日の8日は、早朝に「車でつっこんんで、車が使えなくなったらナイフを使う」と携帯サイトに書き込んで、高速と一般道を使って6時間かけて秋葉原まで出向き、事件を起こした。
▼「優等生」と過剰な自己卑下
行われた犯罪も異様ならば、そこに至るまでの経過がほとんど携帯サイトに綴られたこともまた異様である。
しかし事件の背景を見ると、その表面的な異様さの裏側に、現在の日本社会の異様さが、幾層も積み重なって姿を現していることが見て取れる。
彼を犯行に駆り立てた直接の原因は、派遣労働の過酷な労働条件と、労働者を需給の変動に応じて即座にクビを切る、人を人とも思っていない非人間的雇用環境にあることは明白だ。労働者をそのように扱うことを可能とした労働法制の存在と、それを要請した産業界。さらにこれを容認した政界と、産業界の番犬になりさがって、こうした膨大な非正規雇用労働者をすら守り抜こうとはしない労働組合の現状。これらが、今回の犯罪を生み出した直接の背景である。
短大卒業後の5年間に、派遣社員として多くの職場を転々と移動し、一度は郷里・青森に帰って地元の運送会社に正社員運転手として雇われながらも長続きせず、再度派遣社員として自動車工業に来るという、取替え可能な一部品としての労働者としてしか扱われなかった青年。
この中で彼が今までの自分に嫌気がさし、これから先の未来への希望を失ったとしてもこれは不思議ではない(派遣労働の実態などについては、他の論考に譲る)。
しかし、彼が非人間的な環境におかれた中で生まれた怒りを爆発させ、関係のない人々を殺すことでその怒りを発散させようと行動した裏には、もう一つ別の問題があるように思える。
ネットの彼の記述から伺い知れるものは、彼の表面的な自信過剰と、その裏にある過剰なほどの自己卑下と自信のなさ。
そしてネットで見られる彼の姿は、必死で自分を理解してくれる人を探す、あまりに寂しげなものである。しかしまったく受け入れられない中でやがて彼は突然怒りだし、凶行に及ぶ。
彼の怒りは誰に向けられたものであったのか? 報道された彼の「肉声」では、まるで彼を受け入れてくれない社会全体に対する怒りであるかのような様相を呈しているが、その実態は親に対する怒り、いや、怒りというより、親に助けを求める叫びと見える。
これは彼の生い立ちを振り返ってみると、ますます確信に近いものとなる。
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彼は、職場での人員削減で悩んでいた中で携帯サイトで事件を起こすことを仄めかしたあと、突然、自分のこれまでのこと、とくに親との関係を喋りだした。6月4日の早朝のことである。
「俺のモテ期は小4、小5、小6だったみたいだ。考えてみりゃ納得だよな。親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられていたから勉強は完璧。親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ。中学生になった頃には親の力が足りなくなって捨てられた。小学校の『貯金』だけでトップを取り続けた。県内トップの進学校に入ってあとはずっとビリ。好きな服を着たかったのに、親の許可がないと着れなかった」と。
これによれば、少なくとも彼は、高校に入るまでは親に操られる人形に過ぎなかった。しかし中学生の途中で、優等生にするには手がかかりすぎる彼から、親の関心は3歳年下の弟に移り、彼はこれを「親に捨てられた」と表現した。
▼親に魂を殺された青年の叫び
この頃のことだろう。テレビのインタビューに応えた中学の同級生が、「人が変わった。切れたら怖いという感じがした」と語っていた。同じくテレビのインタビューに応じた近所の人の証言として、母親に暴力を振るうようになったというものもある。
彼は自分が親に愛されていないということを、感じ始めたのだ。
彼は、青森県内屈指の進学校の青森高校に入学したところで、親に与えられた優等生を演じることに疲れたのだろう。
いくら中学ではトップクラスでも、各中学のトップクラスが集まる中では、へたすればビリに近くなる。ここで彼は自分の限界に直面し、以後はカーチェイスのゲームにはまり成績は下降線に。結果として、中部地方の自動車整備工を養成する短大に進学したということは、おそらく高校では勉学に励まなかったことを意味している。彼は、高校でビリに近い成績になったことをきっかけに、親に強制された優等生の道から逃げる路を選んだのだ。
そう、逃げたのだ。それまでの人形のような自分に対峙し、それを乗り越えたのではなく逃げた。その結果が「本人も親もがっかりした」短期大学への進学。
しかし短大で自動車整備を学んだといっても、短大卒業後に自動車整備士になったわけではなかった。
実際には仙台、さいたま、茨城常総市などを転々として、土建業や建設業・自動車工場などで派遣社員として働き、最後には一度、郷里の青森に戻って運送会社の正社員運転手に採用されたが8ケ月でそこも辞め、昨年11月から関東自動車工業で派遣社員として働くこととなったという。
彼自身の言葉としては、「青森で車でえらい借金をして静岡まで逃げてきた」と伝えられている。車を改造して、道路を暴走していたらしい。高校時代にはまったカーチェイスゲームを、現実のものにしたということだろうか。
親の強制・暴力によって勉強させられ優等生になったとは言え、彼自身にも人に優れた力がなければ、それも不可能であったろう。しかし親の期待が弟に移り、高校での成績が振るわなかったことをきっかけに優等生であることを辞めた後は、親に敷かれたレールをただ操り人形として走ってきた彼には、レールから外れた時、自分は何者なのか、自分は何をしたいのか、自分の力で走る目標はなになのかを見出す力すらもたなかったのだ。彼の魂は殺されていたから。
短大卒業後の彼の人生は、まさに自分を求めての流浪の人生であった。
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以上のように彼の生育暦を見るとき、彼を束縛していたものは、親の過剰な期待と暴力という虐待であったことは明白である。そして、異常な犯罪によって彼が爆発させた怒りは、彼自身としても何に対する怒りなのかよくわかっていないもののように思える。
取調べの中で彼は、「始めて自分の話に耳を傾けてくれる人に出会った」と言って、取調べの警察官に、幼い日々なども含めて、自分のこれまでの人生を詳しく語っているという。彼はこれまで、なぜ自分がこれほど自信がなくだめなのかを、過去に遡って過去の自分に面と向かって相対し、それを乗り越える作業をする機会がなかったに違いない。
彼が今回の事件で爆発させたものは、社会に対する怒りでも、自分や親に対する怒りでもない。怒りという形を借りた、魂の叫び。たすけてくれ!という叫びだったと見るほうが正解であると思う。
▼親の虐待を必然化する競争社会
親の虐待によって魂を破壊された故に、人間を人間とも思わない過酷な労働条件に対する不満を爆発させるとき、この不満と、今まで親に一度も子どもとして愛されなかったことへの不満が結びついて、無差別殺傷事件という形で、その怒り・不満を爆発させたのだ。もっと適切な方法があったとは思うが、自分を追い詰めている者が何者かを理解できていない彼にとっては、この方法を取る以外になかったに違いない。
しかしだからといって、これは犯罪を犯した彼個人に責任をなすり付けるものではないし、彼の両親に責任をなすりつけるものでもない。
もちろん彼らには償う責任がある。
彼の両親は彼に償う責任があり、彼は被害者とその家族に対して罪を償う責任がある。
だが、近年起こった多くの凶悪な犯罪の実行犯の生い立ちを見ると、ほとんどその生育暦において、肉体的なものか精神的なものかの違いがあっても、親の虐待が背景にあることがわかる。記憶に新しいところでは、父親の過剰な期待による暴力で勉強に邁進させられた少年が、父親を殴り殺そうとして果たせず、家に放火して継母と弟妹を焼き殺した事件。事件の調書がルポ作家によって本にそのまま引用されて問題となった事件だ。
あの事件の背景には明白に、親の過剰な期待という虐待がある。その他にも、親殺し・兄弟姉妹殺し・子どもが子どもを殺した事件や無差別殺傷事件…、そして児童虐待や配偶者や恋人による暴力など。これらの事件の背景には、それぞれの直接的な事件の原因以外に、親の虐待が存在する。
しかし犯罪の陰に親の虐待があることが、正面切って問われることはほとんどない。
なぜか。
それは現在の日本の競争社会が、親による虐待を生み出しているからだ。親が子に対して過度な期待を抱いて受験勉強を強制するのも、競争社会において勝ち抜かせたいと考えるからだ。そして大人もまた競争社会の中で過度のストレスにさらされているが故に、そのはけ口として子どもや女性や老人など、弱い者を暴力の餌食としてしまうのだ。
だから社会は、事件の裏側から目をそむける。秋葉原通り魔殺傷事件の場合にも、新聞やテレビなどの大メディアでは、「両親は教育熱心でよくしかっていた」という程度の報道だ。だが週刊誌によると、実際には暴力が振るわれていたという。そして親の暴力を暴いた週刊誌も、これはその家庭の問題という取り扱いですませ、頻発する犯罪の陰に、親が子どもを虐待する事件があることを論じようとしない。
この意味で秋葉原通り魔殺傷事件は、過度の競争社会となった日本の社会の醜い姿を、さらけ出したものと言えるのだ。派遣労働の醜い実態だけではなく、親が子どもを駆り立てる虐待の実態や、親に虐待をさせる競争社会の実態など、この社会全体の醜さこそが暴かれ、改善されねばならない。
そして彼自身の力で親の呪縛から逃れ出る路を用意する心理カウンセリングこそ今の彼にとって必要なものはないが、取調べや裁判を通じても、彼にこの機会は訪れないだろう。親の虐待を原因として認定しない社会では、こうした治療を受けさせるのではなく、刑務所へ送り死刑にするというのが、社会が定めたコースである。彼をこのまま、このお決まりのコースに送りこんではならない。
(7/14:すどう・けいすけ)