【映画寸評】周防正行監督作品『それでもボクはやっていない』

冤罪を再生産する司法官僚機構の罪

ー周防作品の新しい力強さー

(インターナショナル第171号:2007年3月号掲載)


 周防(すおう)正行監督の映画と言えば、すぐに『Shall weダンス?』を思い出す。今から11年前の1996年に公開された、沈滞いちじるしい当時の日本映画の中ではまれに見る傑作のひとつだ。
 その5年前にも、『シコふんじゃった』という、一般人とはあまりなじみのない学生相撲の世界を描いた傑作があったが、『Shall weダンス?』も、なじみの薄い社交ダンスの世界を面白おかしく描き、娯楽とエンターテイメントを融合した映画の〃復権〃に、いたく関心した。
 その周防監督が、11年ぶりに『それでもボクはやっていない』を撮った。描いた世界は「裁判の被告」であり、これも一般人にはほとんどなじみが無い。だが前の2作品とは違ってシリアスだ。
 なんせテーマは、冤罪事件である。だから周防は、「〃撮らないわけにはいかない〃という使命感を持って作った初めての映画」と自ら評する。

 周防は、『シコふんじゃった』と『Shall weダンス?』について、学生相撲や社交ダンスの世界の面白さもさることながら、それに熱中している人々の真剣さが、他人から見ればおかしくもあり、また魅力的でもあったと語っていた。そしてたしかに、痴漢に間違われたフリーターの青年、弁護士とその友人たち、同様に冤罪と苦闘する「冤罪被害者たち」が、偏見に満ちた警察と検事に脅され、判事にまで犯人扱いされる事態に真剣に立ち向かう様子は、〃おかしくも魅力的〃である。周防映画の面目躍如だ。
 そのうえで周防は裁判の様子、より正確には、近代刑訴法に即して「疑わしきは被告人の利益に」を実行する判事と、そうしない判事の二種類の裁判官を、周防らしい凝りようでアルに描くことで、「冤罪の構図」を浮き彫りにする。これが、今回の周防作品に新しく加わった〃力強さ〃だ。
 「(判事が)無罪判決を書いても誰も喜ばない。警察も検察も面目を失うだけだ」という傍聴人のセリフが日本司法制度の度し難い官僚主義を、そして「法律論としては検察側立証の矛盾を突くだけで十分だが、実際には被告が無実を証明しなければならない」という役所広司扮する弁護士のセリフが、冤罪の不条理を鋭く突く。

 2月には強姦罪で服役した男性が、真犯人の自供で無実であることが判明したが、周防が活写した「司法の官僚主義」が、こんな冤罪事件をいくつも作ってきたと考えると、「なじみが無い」では済まされない。

(Q)


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