「たしなみの宗教」から「救いの宗教」へ

豊かさが生み出す不安と宗教の役割

―ローマ法王の死と日本政府の宗教無策―

(インターナショナル第154号:2005年4月掲載)


 4月2日、ローマ法王パウロ二世が死去した。彼の死の瞬間は10万人を超える信者に見守られ、彼の葬儀に際して、全世界から200万人を超える信者が弔問に訪れた。そして世界の各国が元首級の要人を法王の葬儀に派遣したことは、改めて宗教のもつ大きな力に注目せざるをえない出来事であった。
 この葬儀に日本は、川口順子前外相(現首相補佐官)を派遣したが、他の国々に較べて特使の格の低さが目立ち、「日本はローマ法王を軽視しているのではないか」などと一部のメディアで非難された。だがこの一件は、「日本は仏教国だからキリスト教の元首の葬儀には関心がないのだ」という程度の反応で、多くの論者の関心をひかないまま忘れ去られたようである。
 しかしこれは、そんな簡単な問題ではないと思う。このローマ法王の葬儀に際しての日本国政府の対応には、この国が政教分離をできずにいるという問題点、すなわち宗教を政治的にのみ利用することに腐心し、その社会的な存在の意義の大きさをほとんど省みないという、明治以来の誤った体制にいまだに留まっているという問題点を垣間見せているのである。

▼宗教意識の希薄な日本人?

 日本人の宗教意識は希薄であるとは、よく言われる。多くの世論調査でかならず出てくる結果だが、日本人で「信仰を持っている」と答える人はせいぜい30%ぐらいであり、90%を越えるアメリカなどと比較するとはるかに宗教意識が低いように見える。しかし日本のどの町にも必ず神社や寺院や道祖神などの野仏があり、さらに家々には仏壇があって先祖の霊が祭られ、人々が折に触れて墓参りをする姿は、信仰に厚い外国人の目から見ればまぎれもない宗教行為である。そしてその行為を見れば、日本人も信仰に厚い民族であると捉えられるはずである。
 しかし日本人の多くはそれらの行為を宗教行為としては意識せず、あたりまえのように目にする神社や寺、そして観光名所のそれらや、家々の法事を司る仏教寺院などは、日本人の意識の中においては宗教には含まれていないのである。
 日本人は日常的には宗教行為を行っているが、それをそれとして認識していないのは何故だろうか。宗教社会学などの分野ではこれを「たしなみとしての宗教」とよび、近代社会が豊かになるとともに神に帰依(きえ)する意識が希薄になり、社会的慣習として儀式化した結果であると説明している。
 もちろんその側面はある。だが日本の場合は、明治以来の政府による宗教政策の影響も見ておかなければならない。

▼「たしなみの宗教」の強制

 明治以来の日本の政府は伝統的に公認の宗教以外は禁圧してきた。それは明治維新に伴う廃仏毀釈運動による仏教各派の弾圧から始まり、大正期の神社統合による修験道などの民間信仰の弾圧、そして昭和前期における大本(おおもと)教や創価学会の弾圧など、日本近代国家形成期において頻発した。この過程においてさまざまな教派・教団が「天皇教」とでも言える国家神道に屈服させられ、国家の活動・目標に国民を動員するための手段へと変質させられた。さらにそれに従がわない宗教やそれと無縁の位置に身を置こうとする民間信仰に対しては「淫祠(いんし)邪教」のレッテルが張られ、布教禁止と職業的導師の転職が強制されたのであった。
 しかしこのことによって、人々の日常生活の中から生まれるさまざまな不安を癒すことを社会的役割として担ってきた宗教の多くは、破壊されるかその機能を衰退させられた。さらにこのことが、逆に社会の底流に呪術を伴ったさまざまな民間信仰を澱(おり)のように沈殿させ、その底流が時折「憑(つ)き」落しや「祟(たた)り」封じという姿で噴き出し、宗教が人々の不安を癒している事実を突きつけるのである。
 このような政策は、明治になって始まったわけではない。江戸幕府が寺受け制度を作って以来、300年あまりの期間の歴史的背景を伴ったものである。この数百年の歳月、そして明治以来の禁圧的宗教政策により、日本国民の多くは救いを求める信仰としての宗教よりも「たしなみとしての宗教」=社会的慣習としての宗教=政府公認の宗教を選択せざるをえなくなったに違いない。

▼復活する「国民統合」のための宗教

 この「たしなみとしての宗教」を選択する傾向は、戦後の高度経済成長によって多くの国民が貧困から解放されるに従がって、さらに拡大したこともたしかである。そしてこれは昭和初期に生まれ、国家による弾圧をも経験した救済宗教、いわゆる「新宗教」をも世俗化させ、現世ご利益を追求するものへの変身を強制した。
 しかしこの傾向は同時に、強い信仰心に支えられた宗教活動を忌み嫌う傾向をも伴っているのではないだろうか。この傾向はオウム真理教による「サリン事件」をきっかけにして噴出したが、その以前から強力な実態を表していた。たとえば「イエスの箱舟事件」や「エホバの証人の輸血拒否事件」など、物質的豊かさの進行に伴う癒されざる心の救いをもとめて新たなる信仰にすがる動き(これを「新・新宗教」と呼ぶ)をバッシングする動きは、その表れだったのである。
 さらにこの傾向は、戦後も続く政府の宗教政策に助長されているという側面にも目を向けておかなければならない。
 国家が特定の宗教を奉じ、これに基づいて国民的統合を果たす。この「明治国家」の宗教政策は、形を変えて戦後国家体制においてもある意味では継続されている。
 国家は公式にはどんな宗教をも奉じず、その宗教的行事を主催することはない。しかし国や自治体のさまざまな行事で、神道的儀式が欠かせないのが現実である。それに対して違憲訴訟が行われても、裁判所の判断は常に「社会的通念としての儀式」という隠れ蓑によって、国家や自治体が一つの宗教を奉じている事実をあいまいにする。
 この傾向の極みには、昨今の靖国参拝をめぐる状況がある。首相や現職閣僚や国会議員が宗教法人である靖国神社を参拝することを「社会的慣例」という理由で容認する司法の判断を隠れ蓑にしながら、またぞろ危機にある日本の統合に宗教を利用しようとする傾向が強まっている。
 日本国家は、宗教とは特定の教義を持つ強い信仰の絆で結ばれた特定の教団のみをさすという狭い宗教解釈によって、「日本人」なら、社会的慣習としての「たしなみの宗教」に参加しているのが普通であるというメッセージを流しつづけている。そして「日常的慣習」とか「日本人ならあたりまえ」という言説によって、豊かな社会が生み出す不安を癒すために信仰に向かう行為を、「極端な過激な忌み嫌うべき行為」とする心情を国民の間に広げているのである。
 だがその裏では、今まさに「たしなみの宗教」の仮面を被った「国家神道」の亡霊を復活し、自らが国民統合の手段として特定の宗教を利用するという武器を再度利用しようという勢力まで現れていることに注意しなければならない。
 しかしこれでは豊かな社会が生み出すさまざまな不安は癒されることなく、社会の底辺に澱(おり)のように沈み腐敗し、いつかは爆発点に達するであろう。だからこそそれを民族主義の水路に導き、他国への怒りの爆発に向けることで危機を回避しようとする動きが生み出され、それがまた国家が特定の宗教を奉じる動きとして現れるということなのかもしれないが。
 ローマ法王の葬儀に派遣する特使の人選に見られる政府の対応は、中国や韓国への反感をあおり、その手段として靖国の国家護持をはかろうとする、宗教を政治的に利用することのみに腐心し、宗教の社会的役割を軽視する傾向の裏返しであったと思う。

▼ドグマ化された「宗教は阿片」

 しかし宗教をめぐる国の政策を笑ってばかりはいられない。日本の知識階層とりわけ左翼的人士は、「宗教は阿片である」というマルクスの言説をドグマ的に理解し、宗教を解体すべきもの、忌み嫌うべきものとして見てきたからだ。だがこの宗教に対する規定は、国家が特定の宗教を奉じることで国民統合を果たそうとしていた国々での宗教の役割を規定したものではなかったのか。マルクスはこの言葉を「政教分離の要求」と対にして使っていたはずである。
 トロツキー研究所の発行するニューズ・レターの40(2005年3月20日発行)に、アンジェリカ・バラバーノワの「レーニンと宗教」という文章が訳出されている。
 これによればレーニンは、マルクスとエンゲルスが1875年のゴータ大会向けの綱領に「宗教は私事である」という一文を入れようとした意図を、1905年の「社会主義と宗教」という文で説明しているという。その説明を要約すれば信教の自由の要求であり、国家と宗教の分離の要求なのである。
 マルクスやレーニンの考え方は宗教を悪と決めつけ、それを攻撃するというものではない。それ自身を攻撃しても意味はない。むしろ宗教的イデオロギーによって国家がプロレタリアートの意識を奴隷的根性に縛り付けるために特定の宗教を護持することを廃止すること、そしてこうしたイデオロギーを必要とする経済的奴隷制を取り除くために戦うことによって、宗教を真に私事にすることができるということである。
 もっと簡単に言えば宗教を政治的に利用することの否定である。そしてこれは裏返して言えば、宗教が純粋に個人の内面の問題、さまざまな苦悩からの解放を担っている現実を認めるということである。
 だが左翼的人士の多くは、「宗教は阿片である」という規定をこのように受取ってはこなかった。ということは、宗教が社会のさまざまな矛盾によって引き起こされる諸個人の苦悩に対して救いの手を差し伸べ、それからの解放の役割を担っている事実を軽視し、宗教と政治とを一体のものとして捉えてきたということでもある。それゆえこの考え方は、宗教は過激な偏った危険なものという日本人一般に巣くっている考え方を補完し、政府が公認する「たしなみとしての宗教」へと人々を追いやってしまう役割を果たしてしまったのではなかったか。

▼豊かさの中での宗教の役割

 社会が豊かになり物質的な貧しさが排除される現代社会において、宗教はますます大きな役割を担って行く。このことに気付いている人は多い。
 先日とある僧侶から、興味深い話しを聞いた。仏教で言う「菩薩道」とは、現代語に翻訳すればボランティアだと言うのである。菩薩道の要点は「慈悲喜捨」である。それは他人を我ことのように慈しみ、他人の悲しみに深く同調して我ことのように悲しみ、他人の喜びを我ことのように喜ぶ。そして他人を支援することで他人が悲しみを脱し喜びの境地に入れるようにするのが菩薩道である。その時に大事なのは、それを自分の功績のように捉え、他人に感謝を期待する「我欲」を捨てることだと。
 ボランティアは他人に同情することでもないし、自慢することでもない、他の人の自立を支援することを自らの喜びとすることだとは良く言われる。この考え方を早くから説いたものが仏教の菩薩道だという。この解釈はとても興味深い。
 さらに浄土真宗の僧侶であり社会学の学者である大村英昭氏がその著書『死ねない時代―いまなぜ宗教か』(有斐閣1990年刊)において興味深い意見を述べている。それを要約的に述べれば、仏教の本質は「諦観」にある。いまのあるがままの状態を甘受せよということ。この考えかたは過去においては、現世に安住する自足的人間をつくる役割を果たし、これをマルクス主義者に「宗教は阿片だ」と言われた。たしかにそうだが「諦観」という考えかたは、豊かになった今日の社会にこそ役立つのではないか。豊かさが欲望をますます生み出し、それによって様々な不幸がかえって生み出されているのだが、その欲望を生み出す我執を鎮める役割を「諦観」という考えかたは果たせるのではないか。仏教は豊かな国でこそその役割を果たせると。これもまた興味深い話しである。
 また4月13日の日経新聞夕刊に、NPOバンクなどの創設に、その経験と智恵を与えた先駆的活動として、カトリック教会の主宰するクレジット・ユニオン(共助組合)の活動が紹介されていた。そして日本における共助組合の始まりは、サラ金被害に苦しむ家庭や地域社会の現状を改善するためにつくられ、無担保・低利で生活資金を融資したという。残念ながら信徒の間にしか広まらず、社会的展開は日本ではできてはいないが、この活動も人々の自立を金融と言う面で支援しようとする運動である。
 さらに、どこで読んだか失念したが、日本における医療の問題をあつかう中で、宗教の問題が指摘されていた。ヨーロッパにおける近代的医療施設にはすべて病院付きの神父や牧師がいて、患者の悩みを聞き一緒に考えることでその悩みを少しでも解消しようとしてきた。とりわけ死に直面している患者にとっては、宗教者との対話は、死をどのように受け入れていくかと言う大きな問題への唯一と言ってもよいほどの解決策である。この近代医療における宗教の役割を見ずに、その技術だけを取り入れたところに日本の医療の根本問題があるというものであった。
 日本にはいま、どのような社会をつくりあげるべきかの青写真がない。それがないまま自由競争主義が蔓延し、少数の経済的勝者と多数の敗者が生み出され、さまざまな社会不安が醸成されている。しかしその不安を解消するための社会的システムは存在せず、それを自立的個人による共同作業を通じて作っていこうとする動きが各所で起こっている。その時に宗教が持っている個人の自立を助けようとする思想が、社会的に大きな役割を果たすのではないだろうか。時代はまさに「たしなみとしての宗教」から、自立を支援すると言う意味での「救いの宗教」への転換を強制している。
 ローマ法王の死と新法王の選出をめぐる報道は、豊かな現代社会において、多くの人々が生きる指針を求めて宗教に接近していることに思いを馳せさせる。だからこそ多くの国々は、宗教の持つ社会的役割の大きさを自覚し、元首級の特使を派遣したのだ。だが日本は、元実務官僚を派遣しただけ。このことの裏側に、宗教の役割の軽視と、現代社会がはらむ不安という地下のマグマの力への怖れの欠如という、日本政治の脆弱さが仄見えていたのである。

(5月8日:すどう・けいすけ)


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