国際戦略なき国粋主義の発揚
「新しい歴史教科書」に見る捏造と構想力の貧困
(インターナショナルNo.120/2001年7月掲載)
「国粋主義」とでもいうべき主張をかかげた歴史教科書「新しい歴史教科書」(「新しい歴史教科書」を作る会編・扶桑社刊)の検定合格が、内外に波紋を広げている。
なぜこの教科書は、熱狂的な支持と、強烈な反対を招くのか。またなぜこの時期にこのような「国粋主義的教科書」が出現しなければならないのか。このことがまず明らかにされなければならない。
そして同時にこのことは、公教育における歴史教育のありかたを問い直すことでもあるし、さらに根本的には、日本とアジア諸国の関係のありかたの見直しをも含むものであろう。
この小論で全てを詳しく論じることはできないが、以上の問題意識をもって論じることとしたい。
歴史の捏造に基づく民族主義
最初に、この教科書の性格を明らかにしておこう。
教科書を一読して気がつくことは、その強烈な民族主義であり、「反米・反ヨーロッパ」「中国・韓国蔑視」の主張が強烈に展開され、「日本民族の優秀さ」が至るところで展開されていることである。
このことが熱狂的な支持と強烈な反発を生む原因でもあるが、問題はその主張の展開のしかたである。
この教科書の特徴は、歴史を捏造することによって、その主張をあたかも唯一の真実であるごとくに、読むものに思わせるような記述をしていることにある。
この教科書は全ページにおいて歴史を恣意的に捏造している。例をあげればきりがないが、古代史と近代史とからそれぞれ一例を挙げてみよう。
縄文文化の項において、日本が氷河時代においても氷河に被われる事なく豊かな食料に恵まれた地域であったことが花粉分析で明らかになったと記述した後、「森林と岩清水の文化」と題して、縄文文化を生み出した豊かな自然と、その結果としての豊かな食料を詳述したあと、この教科書は突然つぎのように述べるのである。『このように比較的食料に恵まれていたので、日本列島の住人は、すぐには大規模な農耕を開始する必要がなかった。』と。
そしてこのあと、農耕と牧畜に支えられた四大文明はいずれも、砂漠と大河の流域に発展したのであり、縄文人はその地域よりも早くに土器を発明するという高い文化を持っていたことが誇らしげに語られる。
これだけ見ると、どこが問題なのかと訝しがる人がいるであろう。そう、一見何の問題もないように見えるところに、論点のすり替えといくつかの事実を伏せることで、歴史が捏造されているのである。
事実はこうである。氷河時代に氷河で被われなかったのは日本だけではない。いや、正確に言えば氷河で被われたのはヨーロッパの北部とアメリカの北部、そしてシベリアとヒマラヤ地方と他の高地のみである。地球の陸地の多くは草原地帯であり、温暖で豊かな地帯であったのである。この時代を「氷河時代」と呼ぶこと自体が『ヨーロッパ中心史観』なのである。
ところがこの歴史教科書の著者は、『ヨーロッパ中心史観』を批判することなく、その批判の基礎である「氷河時代は正しくは草原の時代とよぶべき」という事実を伏せることで、まるで日本列島だけが特殊な状態にあったかのように歴史を捏造する。
そして次に、エジプト・メソポタミア・インダス・黄河の各地域で大規模な灌漑農耕が起きたのは、氷河期が終わってしばらくして、それまで豊かな草原地帯であったこの地域で乾燥化がはじまったことによるのであり、このためにすでに始まっていた穀物栽培を維持する必要から、大河川の堰きとめ灌漑が行われたという事実を無視し、日本列島が乾燥化せず、高温で多湿な地域へと変貌したのは、日本列島の地球上での位置の問題であることを無視する。
この時乾燥化が起きたのは一部の地域であり、他の多くの地域は豊かな森林か草原に被われていたのである。地球上の大部分では豊かな自然の恵みをうける採集経済が主流であり、補助的な小規模な農耕が行われている地域が大部分であった。
要するに大規模な灌漑農耕と強力な国家とをともなう四大文明の出現こそ特殊な状況での例外であったのである。
この教科書が『大陸と日本列島とでは、生活条件が異なっていた。違った条件のもとでは、文明と文化は当然違った形となってあらわれた。』と主張することは正しいが、なぜ違った生活環境になったかを記述しなければ、この主張は恣意的なものになろう。そして、日本を含む大部分の地域が大規模な農耕を必要とはしなかった事実を指摘してこそ、四大文明の性格も縄文文化の性格も正しくつかめるのである。
この教科書の記述は結果として、四大文明を源とした、アジアやヨーロッパの文明に対する著者たちの嫌悪感を表明することにしかなっていないのである(この氷河時代のあつかいと農耕の発生の問題の歪んだあつかいは、他の教科書も大同小異である。ただ扶桑社の教科書は歴史を捏造しようとする分だけ悪質なのである)。
この歴史捏造の手法は、一貫して行われている。そしてもっともひどいのが、近代史の部分なのである。
欧米の進出と幕末の危機と題する項で、欧米の植民地化の動きになぜ日本は対抗することができたのに、中国や韓国がなぜそれができなかったのかという問いを、この歴史教科書は発している。
これは近代日本を考えるときに避けては通れない重大な問題であるが、問題のあつかいかたがおかしい(他の教科書は、この重大な問いを発していない。この点で扶桑社の教科書の優れた問題提起的性格がある)。
この教科書の答えはこうである。
『中国人はむかしから、自国の文明を世界の中心と考える中華思想をもっていた。イギリスなどを、世界の果ての野蛮な民族であるとみなしていて、西洋文明に対し、敬意も関心もいだかない傾向があった。この結果は、清はしだいに列強に侵食され、領土の保全もあやうくなった』と。
朝鮮についての記述は少ないが、アヘン戦争への対応を記述した部分に『朝鮮では危機意識がうすく、9ヶ月もたってから報告書が提出された。その内容も簡単なものだったので、指導者層も国際情勢の急変に気がつかなかった』と記述する。
では日本はどうか。『日本は江戸時代を通じて武家社会という側面があり、西洋文明に学ぶ姿勢へと政策を転じたが、中国・朝鮮両国は文官が支配する国だったので、列強の脅威に対し、充分な対応ができなかったという考え方もある』と述べている。
恐るべき主観主義である。これでは「文官より武官」の優位の思想であり、中国・朝鮮人を愚弄した思想の表明である。
事実はどうであったか。
まず日本と中国とではその置かれた地政学上の位置が違い、その持っている豊かさが違う。欧米列強は、地球上で有数の豊かな国である中国の植民地化をはかったのであり、日本は、その極東における軍事・交通上の位置に注目される限りで欧米列強にとって重要な場所なのである。
だから日本は、隣国中国に対する欧米の動きとその結果を見て、問題に対処するだけの時間的余裕があったのである。
そして日本が開国し、倒幕・明治維新へといたる時期には、清国において「滅満興清」をかかげ中国から欧米の勢力を除こうとする太平天国の旗印につどった中国民衆の大闘争が起こっており、欧米列強は、自己の中国における権益を守るために軍隊の派遣を含めて懸命であった。さらに1856年のクリミア戦争によって、トルコを応援しロシアの南下を阻止しようとするイギリスとロシアを援助するフランスとは決定的な対立状態に入った。そしてこの両者の対立が日本に持ちこまれ、互いに牽制しあい、薩長臨時革命政府と幕府との戦争において、幕府に荷担し、あわよくば日本における権益を増やそうとするフランス公使の動きに対し、内戦への不介入をかかげ、介入した場合にはイギリスの敵とみなすとしたイギリス公使の動きとそれに同調したアメリカ公使の動きが、内戦のそれ以上の拡大・列強の介入を阻止したことは、有名な事実である。
また、朝鮮は巨人中国の東隣の小国で軍事・交通上でも大きな位置を持たなかったために一種の真空地帯に置かれたことが、危機を肌身に感じなかった原因の一つである。これらの諸国の置かれた客観的な状況の違いを無視しての彼我の優劣を問う立論の恣意性は明らかであろう。
さらに、中国や韓国において西洋文明に学ぶ動きがあった事実もまた、この教科書では触れられていない。中国では太平天国の乱の鎮圧の後、清王朝の腐敗と軍事体制の無力に気がついた地方軍閥出身の漢人官僚によって洋務運動という西洋文明をとりいれようとする動きがあった。明治維新と平行して行われたこの改革の限界は、はからずも1904年の日清戦争によって暴露されるわけだが、このアジアにおける同時期の西洋化運動の一方が成功し一方が破綻した理由を、事実の厳密な検証によって問うことなく中国の動きをまるでなかったかのように記述し、『中国人は中華思想にとらわれていたから・・・・植民地化された』と断定するのは、歴史の恣意的な捏造といわざるをえない。
この洋務運動の結果として、中国に導入された西欧文明が清国の強大な軍事力がつくられ、それは日清戦争で日本に敗れるまでは、欧米列強にとっても脅威であった。
また当時、朝鮮の支配層において清国派が多数を占めたことの遠因も、この点に求められよう。つまり中国における西洋化の一定の成功(強大な軍備)という事実が、「宗主国」清に頼って外敵に対処するという親清派の戦略的根拠であったと思われる。そして1884〜85年のベトナムをめぐる清仏戦争で、清の南洋艦隊が撃破されたことが、清王朝の支配体制をかえずに西洋文明をとりいれ、欧米列強に対抗するという戦略の限界が見えた。だからこの時、いち早くこの事実に気がついた朝鮮の開明派官僚が、日本軍の援助をもとめて軍事クーデターを起こし、清王朝とつらなる官僚の一掃を図ろうとしたが、清軍の介入によって失敗し、これを契機に朝鮮を清と日本の草刈場にしてしまったことが、朝鮮における不幸の始まりであったと思う。
どの国も、決して西洋文明を無視していたのではない。それぞれの国はその地政学的な位置も、内部のおかれた状況も多様である。そして欧米列強の中国・朝鮮・日本に対する動きもまた多様であった。この違いを無視した「日本の称揚と中国・朝鮮への罵倒」は、日本民族主義の単純な発露でしかなく、歴史を捏造したものでしかないのである。
民族主義の現代的基盤
この「新しい歴史教科書」は、その名前に反して新しいものではなく、戦前の皇国史観に基づいた歴史教科書と同質の古いものである。双方に共通するのは、どちらも歴史の捏造に基づいて「天皇家なくして日本の統一はない」「日本民族の優秀性」という、歴史事実とは違う固有の主張を繰り広げるプロパガンダのための書である。この教科書はけして教科書ではない。これは民族主義の宣伝の書なのである。
ではなぜ今ふたたび、民族主義の宣伝の書が、歴史教科書という姿をとってあらわれたのだろうか。
その原因は、この教科書のまとめの「歴史を学んで」の項が、自ら雄弁に物語っている。『外国文明に追いつけ、追い越せとがんばっているときには、目標がはっきりしていて不安がない。(中略)ところが今は、どの外国も目標にできない。日本人が自分の歩みにとつぜん不安になってきた理由は、たしかに一つはここにある。しかし、もう一つ重要な理由が別にある。日本は外国の軍隊に国土を荒らされたことがないので、外国を理想にしても、独立心を失わない幸せな国だったと前に書いたが、大東亜戦争で敗北して以来、この点が変わった。(中略)本当は今は、理想や模範にする外国がもうないので、日本人は自分の足でしっかりと立たなくてはいけない時代なのだが、残念ながら戦争に敗北した傷跡がまだ癒えない。』と。
ここにこの教科書が書かれた意味・目的と、なぜこの教科書にたいする熱烈な支持が、若い世代を中心にあるのかを解き明かす鍵がある。
高度成長を経て世界の経済的トップに立った日本は、敗戦後の国際戦略を持たない、あるいは持てなかったがゆえに、経済運営ですらアメリカのあとを追い、いまだにアメリカの自国の利益を最優先する戦略に従いつづけ、経済も政治も大混乱の只中である。これは、二度のオイルショック・国際通貨危機を経て、地域統合と独自国際通貨設立という戦略をたて、アメリカとは相対的に独立した立場を確保しようとしてきたヨーロッパ諸国と実に好対照である。
この教科書のまとめが言うとおり、今は日本独自の国際戦略が必要なのであり、その国家戦略がない理由は、アメリカに敗れたことの後遺症なのである。この後遺症を治し、日本独自の道を探すために、今一度歴史を見直そう。これがこの「新しい歴史教科書」の主張なのである。
その意味でこの教科書の登場はまことに時期を得ているのであり、その時代認識自身は正しいと言えよう。
しかし正しいのはここまでである。歴史の見直しによって日本独自の道を探そうとする試みは、多面的な姿をした歴史を歪みなく全体として掴み取る努力をすることを怠れば、それは恣意的な歴史解釈に陥る。
「新しい歴史教科書」は、その最初の部分の「歴史を学ぶとは」の項で、以下のように述べている。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人々がどう考えていたかを学ぶことなのである』と。
そしてこう述べた理由を「過去の事実を厳密に正確に知るのは可能ではない」「人により民族により時代によって考え方や感じ方が違っている」ので「これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがきだすことは難しい」と説明している。
たしかにそうであろう。だがしかし、その異なった見方をなるべく一方に偏らず多面的に見ようとする努力を放棄し、歴史は「過去の人が過去の事実をどう考えていたかを知ること」だけに切り縮めるということは、歴史を恣意的に解釈すると宣言したも同然なのである。
ここでもこの教科書は、問題のすり替えを行っている。この教科書の著者たちにとって、歴史的事実の究明はどうでも良いのである。結論が先にありきなのである。
その結論とは何か。「日本民族は優れている」「欧米などより長い歴史的伝統を持っている」「一度ぐらい戦争に負けたことがなんだ」というものである。
そして始末の悪いことには、この結論を客観的に正しいものであるかのように見せかけるために歴史を捏造し、中国や朝鮮を落とし込めたのである。
現状に不満を抱き、不安を覚え、政治家や官僚に不信感を抱く人々にはとても心地よい主張である。そして同時に、過去の日本の歴史を充分には知らない人々にこそ、この教科書の魔力ははたらく。
日本の国民は、今まで一度たりとも歴史を学んだことがない。
戦前の公立学校における歴史学習は、「神国日本」のプロパガンダであった。そして戦後日本の歴史学習は、科学的・客観的を標榜するあまり、歴史評価をさけた事実のみを記述する教科書をつくりあげた。
ここには大きな可能性があった。初めて歴史の真実を探求する可能性である。ただしこれは日本人自身で日本の侵略行為を裁くことができてはじめて実現される可能性だったが、それはできなかった。
さらにその後、学習が上位の学校に進学する技術・資格の習得を目指すものになるとともに、歴史学習は今を生き未来を見とおす知恵の取得ではなく、単なる受験知識と化したのである。新しい歴史教科書を作る会の人々が「自虐史観」と呼んだ教科書に書いてあることすら、すでに多くの人は充分に認識はしていない。
今や第2次大戦において、日本軍が周辺アジア諸国に何をしたかを知っているのは、一部の知識人と、戦争を体験した世代の一部であると言っても過言ではないのである。
そして、日本の官僚や政治家がいまだにアメリカに追随した行動しかとらないことと、それがアメリカの比類なき経済力の餌食に日本をしているのではないかという不安、さらに何をしてもアメリカには勝てないのではないかというあきらめとが、人々の心にない混ざっているのが現状である。これは特に若い層に顕著に現れている。
これではこの教科書が多くの層に支持されてしまうのは当たり前であり、日本の今後にとって危険な兆候である。
何が問われているのか
この「新しい歴史教科書」の出現という事態によって問われている問題は二つある。
一つは、歴史教育のあり方であり、もう一つは、中国・韓国を含めたアジアの国々と日本との関係のありかたである。そしてこの二つは一体の問題でもある。
*
まず歴史教育のありかたから述べよう。
この教科書をめぐる騒動の中から、「公教育における歴史教育の廃止」論とでもいうべき論調があらわれ、一定の支持を得ている。この論は、国家による歴史教育への介入を否定し、歴史教育は私事であるから家庭に任せるべきだと言う論調である。
この論調は、これまでの国家による教科書検定を通じた介入の結果、歴史教育に大きな歪みが生じてきたことへの批判という面では、一定程度意味のある論である。だがしかし、歴史教育を私事へと切り縮める態度はとても危険である。
なぜなら歴史をどう認識するかは優れて公共性を帯びた行為であり、個人の経験を超えた、民族の経験・人類の経験をどう学ぶのかということであり、過去に学び未来をどう構想するかということだからである。
「新しい歴史教科書」は、その最初の項目である「歴史を学ぶとは」において、『歴史に善悪をあてはめ、現在の道徳から裁くことはやめよう』と繰り返し述べている。これは狭義には日本の侵略行為を暴き、それを断罪することを指していると思われる。
しかし歴史的事実を暴き断罪すること、つまり「現代の目で裁くこと」は、必要なことである。もちろんなぜそうなったのか、なぜ当時の日本人がそういう選択をしたのかを問うことも大切である。この問いを押さえた上で今必要なのは、二度と再び過去の過ちを繰り返さないためには、どうしたらよいかを考える事である。そして日本とアジア諸国とがどのような関係を結ぶのかという未来を構想するためにこそ過去を知り、過去を裁く必要があるのである。
もちろん裁くときの基準は戦争の勝者の論理ではない。それを越えた人間としての倫理から裁くのである。
今までの歴史教育は、どうしても国家による「神話」の押し付けであった。戦前の日本の教育もそうであったし、多くの国の歴史教育もそうである。
しかし歴史を「神話」にしては、人類は果てしない同族での殺し合いと自然破壊を続けるだけである。今こそ各民族国家による「民族の神話」を越えて、「真の人類史」の構築が必要なときなのである。
そのような時代に「新しい歴史教科書」は、未来を構想するためと称して「民族の神話」を提示したのである。ここに間違いがあるのであって、未来を構想するために歴史を顧みることは必要不可欠なことである。
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という。一人一人の地球市民が民族国家を超えて地球生物共同体を構築すべき現代において、それぞれの民族を、それぞれの民族国家を超える認識を育てるためにも、公教育における歴史教育は必要である。
もちろん教科書検定はいらない。いや「正しい歴史を提示する教科書」もいらない。必要なのは「歴史を考えるための資料集」である。歴史を学ぶとは、歴史を考察する・探求すると言うことである。何が真実であるかを見極め、過去に基づいて未来を構想することなのである。そのために歴史を多面的にとらえられる資料としての「教科書」は必要であり、歴史学習は、資料を通じて歴史をどう認識するのかという作業になるであろう。
これは決して私事ではない。国を超えた共同をどう構想するかということでもあり、すぐれて公共性を問われる問題なのである。
*
もう一つの課題である日本とアジア諸国との関係について、簡単に述べておこう。この問題への解答は、次の問いに答えることと同じである。
日本において「大東亜戦争」を神聖視し、日本の侵略行為を合理化しようとする言説が力を得るたびに、何ゆえアジアの諸国から激しい反発が出るのであろうか。
もちろん半世紀前の戦争が、まだ遠い過去の物語などではなく今だ生々しい体験の一部であり、その惨禍の結果多くの人々の心は傷ついたままだからである。侵略戦争の被害者にとっては、戦争を美化することは到底許されはしない。
だがアジア諸国からの反発の背景はそれだけではない。
今回の韓国の反応が象徴的である。韓国は近年、日本の大衆文化の解禁も含めて、文化面だけではなく、経済面においても日本との交流・共同関係を深めようとしてきた。だが今回の教科書の問題が始まり、日本政府が問題を一教科書の問題に切り縮めようとしたとき、韓国政府は、日本の大衆文化の解禁を含めた日韓交流の「一時凍結」を宣言した。そう、一時凍結なのだ。
ではなぜ韓国政府は、なお日本との交流・協力関係を深めようと言うのか。
韓国を始めとしたアジアの国々は近年急速な経済発展をとげ、先進資本主義国に急速に追いついてきた。しかし、アメリカ標準の資本主義の世界化の中で、そして、カジノ資本主義とさえ言われた投機的な資本移動が可能となった現在、そのアメリカ一国の利益を考えた投機的資本の移動によって、これらの国々の経済は、さまざまに翻弄されつづけてもきた。
マレーシアのマハティール首相の唱える「アジア・太平洋圏」経済圏構想は、このような事態に対応したもので、アジア経済共同体をつくり、その政治的・経済的な盟主として日本を組みこもうという構想である。
アジア諸国がグローバル経済の展開の中で、アメリカ一国の利益に基づいたアメリカの経済・政治・軍事政策に翻弄されずに、自国の経済発展をとげようとすれば、それはアジア圏の経済統合を基礎にした、独自の世界通貨を持つことである。
アジアにおいてその実力を持ち、最短距離に立っているのは日本である。だがしかし、このことの必要性を最も認識していないのも日本であり、あいかわらずアメリカに追随することで、日本の国益もアジア諸国の国益をも損なっているとの自覚は、日本を動かしている人々にはほとんどないように思える。
その遅れた日本の意識の表れの一つが、今回の「国粋主義的」歴史教科書の出現であり、それへの苛立ちが、この歴史教科書への反発なのである。
今、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉自民党内閣が日本の舵を取っている。彼らの国家戦略(あるとすれば)が、資源も労働力も市場も不足している日本の今後を、アジア諸国との関係改善・協力関係の深化の方向で考えているならば、この歴史教科書の問題が、決していち歴史教科書の問題ではなく、ましてや歴史教育のありかたの問題だけではないことに気づくであろう。
また教科書問題の歴史的背景に深く思いをはせるならば、それが日本とアジアの今後の関係構想とその建設の問題でもあることに気付くであろう。
気づかないとすれば、両者の関係は再び泥沼の関係に陥り、日本経済の再生の可能性もまた摘み取られるに違いない。
(すどう・けいすけ)