「教育改革」がかかえる矛盾
教育労働者はいかなる立場でかかわるのか


 文部省は昨年11月に教育白書を発表し、自らが推進する「教育改革」を自画自賛した。
 中学校における選択科目の時間数は倍に増え、さらに数年以内に完全実施される小中学校の学習指導要領では、必修科目がさらに削減されたり、新たに総合学習の時間という、各学校独自に内容を工夫し、教科の枠に縛られない様々な課題を子供たちが考えていく学習の時間が設定される。また高等学校では総合学科や単位制高校や中高一貫6年制学校など様々な学校がつくられ、入学試験の実施方法も推薦入試の導入や選択入試や入学試験を行わず、面接や論文などをあてる方法も可能となり、かなりの様変わりが起きている。そして大学入試においても同じことがなされ、小・中・高・大のどこにおいても「特色ある学校作り」が「現場の自主性」に基づいて行われつつあると、文部省は主張する。
 たしかに文部省の旗振りによって「教育改革」が進展しているかに見えるが、ことはそう簡単ではない。

反発と強制を生み出す「改革」

 現実には、「教育改革」に様々な疑問や反発がおきている。例えば「改革」の目玉のひとつである6年制中高一貫教育では、青森県で中高連携方式のモデル校を決めてこれを実施していこうとしたが、その指定校の中学校の学区の小学生しか入れないのは不公平だとの不満が出され、入学を希望する小学生を受け入れられるように当該の中学校の定員を増やす方向が模索されたが合意にいたらず、実施は遅れるそうである。同じ問題は全国各地で起きている。
 この背景には、6年制中高一貫教育は新たなエリート養成校を生み出すと言う疑念が存在する。同じことが各地の高校「改革」でも言える。これに対する根強い反対にも、戦後民主教育の象徴とも言うべき普通科高校の再編は、理想とされた全人的発達をめざす教育の解体であるという疑念が背景として存在している。しかもこの高校「改革」の過程は、既設校の統廃合を伴うものである事も、反対を生み出す背景にある。
 また最近は大学教員の側から、ここ10年のあいだ文部省が推進してきた「ゆとり教育」に対する批判が噴出している。「知識の詰め込み」をなくし「受験戦争を緩和する」ために、小中高等学校での学習内容を減らし、選択入試や一芸入試を大学が実施する取り組みである。大学教員の側は、この「ゆとり教育」によって学生の基礎学力の低下がおき、その結果、大学の専門教育に支障が起きていると主張している。そしてこの「事実」に依拠して、現状よりさらに学習内容が削減される「教育改革」は、さらなる基礎学力の低下を生み出すので反対と言う主張である。
 基礎学力の低下という反対意見に文部省は、「知識量は減るが学ぶ意欲をつけ学び方を身につけさせるので問題ない」とし、「大学における学生の学力低下は進学率が40%を超えたのであたりまえ」ととりあわず、両者の主張は完全に対立したままである。
 また、東京都品川区で実施された小学校選択の自由化は「学校の序列化」が進むとの反対意見をよそに、2001年には中学校の選択制に踏み込んでいくことになった。批判に答える中で教育長は、「選択制にすることで各学校が特色ある学校作りをするようになる」と発言し、この「改革」が強制的に各学校の教育内容を変えさせる政策でもあることをにおわせている。
 これは、東京都が同時に進めている教員に対する人事考課の実施と給与の序列化政策ともあいまって、文部省と教育委員会の進める「改革」に現場が強く反発していることを示していると同時に、文部省側は、ここを突破して「改革」を実施しようとする腹であることを示している。このことは、文部省が学校教育法施行規則を改正し、学校経営権は校長にあり、職員会議はその諮問機関であるとして、職員会議が職場の最高決定機関という教職員組合の主張を全面否定したこととも関係し、現場の反対があっても「改革」を進める決意を文部省・教育委員会が持っていることの現れであるだろう。

学校崩壊の責任を回避する文部省

 ではなにゆえ、文部省の進める「改革」には様々な反発や疑問が出されるのであろうか。それは「改革」がまちがっているからではなく、文部省が現在の「学校崩壊とも言える状況を作った責任」をとることもなく、「今までの教育政策のどこに間違いがあったのか」、そして「なぜこのような全面的な構造改革が必要になったのか」を明らかにすることなく、なし崩し的に学校体系を変えていこうとしているところに原因がある。
 教育白書は、「教育改革」の必要性を以下のように述べている。
 『教育の機会均等の実現を基本理念とする教育は、奇跡とも呼ばれるほどの我が国の発展の原動力となってきました。その一方で、受験競争の激化に伴い学校教育が知識を一方的に教え込む教育になりがちになり、思考力や豊かな人間性を育む教育や活動がおろそかになっています』と。
 そして『教育における機会の平等性を重視するあまり、本来多様な子どもたち一人一人の個性や能力に応じた教育を行うという点で必ずしも充分に配慮されてこなかった』とも述べている。
 この文言は、文部省がはじめて自らの進めてきた教育が様々な問題を生み出し間違っていたことを公に認めたことを意味する。
 しかし「知識の詰め込み教育」が、多くの子どもたちを学習がわからないまま放置しているという、いわゆる「おちこぼし」が指摘され批判されたとき、「何割かの子どもがわからないのは当たり前」と称して何の改善もしなかったのは文部省である。そしてその放置された子どもたちや、詰め込みによって人間性を破壊された子どもたちによる教師への反抗がうまれ、それに対する強権的統制の結果としいじめや不登校が増大し、さらに昨今の学級崩壊と言われる状況がある。これらを生み出したのも、文部省の責任である。思考力や豊かな人間性を育むことをおろそかにしてきたのは文部省であり、子どもたちの個性をつぶしてきたのも、文部省が推進してきた教育なのである。
 しかし文部省は、これらの「学校崩壊」とも言える問題の原因を『家庭や地域の教育力の低下』に全て起因すると述べて(教育白書)はばからず、自らの責任をまだ充分には明らかにはせずに、なし崩し的に学校を変えようとしていることにはなんら変わりがないのである。

なぜ文部省は責任をとらないか

 なぜ彼らは自らの責任を明らかにせず、自己批判を行わないのだろうか。
 それは、彼ら自身にはこの「教育改革」を積極的に推進していく気構えなど微塵もないからである。
 現在の教育改革を必然化したのは、戦後日本の発展を支えていた枠組みの崩壊である。急速な経済成長によって、欧米に追いつき追い越すまでの力を持った日本に対して、アメリカは日本を庇護する政策を全面転換した。冷戦構造という政治状況の中で、アメリカは「アジアの反共の拠点」の役割を持った日本を軍事的政治的経済的に支えてきたが、資本主義の高成長が終わる中で、生き残りをかけたアメリカ自身がこの構造を壊し、対等な競争関係に切り替えた1985年のプラザ合意。そして続く1989年のベルリンの壁崩壊による冷戦構造そのものの崩壊。日本は欧米に追いつけ追い越せではない、独自の発展プランを持たざるをえず、激しい国際競争に勝つためには、政府の手厚い保護の下に競争を抑制した産業構造の全面転換をはからざるをえなくなった。このことは、産業構造の転換だけではなく政治・社会の構造をも改変せざるをえず、必然的に教育体系も変更を迫られたのである。
 知識を一方的に詰め込む教育。能力の違いや個性の違いを無視して全ての子どもを詰め込み教育の中で競争させる教育体系。これは欧米に追いつけ追い越せの体制の下で、一定水準以上の人間を大量生産するには有効であった。しかしそれは、柔軟な思考力と応用力を必要とする激しい国際競争の時代には桎梏以外の何物でもない。
 通産省の主導の下、1984年から1987年にかけて臨時教育審議会が次々と「教育改革」の旗をかかげて答申を出していったのには、このような背景があったのである。
 しかしこのとき文部省は激しく抵抗し、臨教審の提言はこのときはほとんど日の目を見なかった。産業構造全体の転換もなされなかったように、戦後日本を支えた構造の転換を理解できず、「まだなんとかなる」と既得利益の擁護に走った勢力の勝利によって「構造改革」は先送りされた。「教育改革」の先送りもこの一環であったのであり、「古い構造を維持しようとする勢力」の一つが文部省でもあったのである。
 「教育改革」が進行し始めるのは、1990年代も後半になってからである。構造改革がなされなかった事により、資本主義の激しい景気後退の波に飲み込まれそこから立ち直れない中で、学校をかえようという動きは本格化してきたのである。このときもまだ文部省はおずおずと歩むのみであり、かえって「教育改革」の理念に反する方向にすら走ったのである。「教育改革」は情勢の転換によって強制されているのであり、文部省が主体的に選び取った方策ではない。

矛盾を抱える「改革」

 現在行われている「教育改革」は、現状の構造を維持しようとする勢力と構造改革を進めよとする勢力の妥協の産物である。従って「改革」の進行には一貫性がなく、相互に矛盾する場合すらある。
 総合学習でつけようとする力、そして各教科でつけようとする思考力は、現在のさまつな知識の集積を要求する入試とは根本的に相反する。同様に、大学入試におけるセンター試験を採用する学校の増大は、そのさまつな知識を集積した均等な力を持った学生選抜になり「教育改革」の理念にも反する。
 さらに職員会議を校長の諮問機関とし、学校経営権を明確にした強い指導力を校長にもたせようという政策は、「現場の自主性を尊重した学校づくり」の理念に反し、かえって文部省・教育委員会による上からの強制に道を開いている。
 そして「教育改革」の理念に抵触する最大の問題が、「日の丸・君が代」の強制である。「個性を伸ばし多様な選択が出来る学校制度」といいながら、ここにあるのは「お上に従う思想・姿勢」の強要であり、このかたくなな姿勢は、「現場の自主性」をも奪い、学校のあり方をじっくり議論し変えていく作業を実現するネックとなっている。「君が代・日の丸」の法制化は、現状維持勢力の典型である自民党小渕派が、党内多数派の形成を目指して党内右派に迎合した結果であり、また議会内多数派をめざして公明党をとりこむにあたり、公明党に天皇制の容認と国立戒壇設置方針の放棄を迫った踏絵としての意味が含まれていたのであり、日本の構造改革とは違った方向の政策である。そしてこれが教職員組合の反発を招き、「教育改革」を進めていく妨げともなっている。
 日本の国のあり方をめぐる旧来の構造を守り、自らの利権を確保しようという勢力の存在が、「教育改革」を遅らせ相互に矛盾した政策を並存させてしまうのである。

「全人教育」という幻想

 だが他方では、教職員組合の一部と「左翼」勢力の掲げる「全人教育」という啓蒙主義的理想論と、「民主教育を守れ」というかたくなな態度も「教育改革」を進めていく上での妨げとなっている。
 「全人教育」の理想は、絶対王政に対して全ての人民を資本家のもとに結集させる市民革命ためのスローガンにすぎず、戦後の冷戦構造が生まれる前の人民戦線的・ニューディール的状況の中でのみ、実現されるかのような幻想をふりまくことができたのである。戦後の左翼は、この幻想をまさしく実現できるものであるかのように吹聴し、この「幻想」の下に運動として展開された高校全入運動や学校の民主化運動は、つまるところ、戦後日本の共同幻想であった「高い学歴の獲得=立身出世」の要求と結合し、学校をそのための手段と化してしまい、「民主教育」の内実を、知識を一方的に教え込むものでしかない受験競争のための「塾」と化してしまうことに手を貸してしまった。
 したがって「民主教育を守れ」とか「学力の低下反対」とかいう「教育改革」に反対する主張は、これらの事実を顧みようとしないものである。この意味でこれらの左翼勢力の主張も、古い構造を維持するだけのものになっていると言えよう。

いかに「教育改革」に取り組むか

 文部省や教育委員会、そして現場の教員の中には「教育改革」に反対し、現状を維持しようとするものがまだ多い。そして自身の責任も明確にせず、教育体系をなし崩しに変えていこうとすることに疑問と不信の念を持っている人々も多い。私たちが今なすべきことは、これらの「教育改革」に関わる矛盾を矛盾として明らかにしつつ、古い構造を維持し学校を崩壊させた責任をとろうとしない人々の責任を追及し、古い構造を壊しつつ、「教育改革」を現場の自主性にもとづいて推進することである。
 この運動をすすめるにあったっては、文部省の掲げる「教育改革」の理念は、現状の教育のあり方を問題であると考えている人々にはおおいに支持されていること、むしろこの人々は、「教育改革」の不徹底さや亀の歩みを批判していることを念頭に置くべきである。そうすることで私たちは、多くの市民運動や父母たちとも手を携えて進むことができるであろう。
 そして「教育改革」を進める事は、日本と言う国のあり方を再考することでもあり、この意味でも「現在の学校がかかえる矛盾」を明らかにし、「あるべき学校像」を明らかにしていくことは、この国のあり方を再考しようとしている人々との連携をも必要としているし、その枠で推進する必要がある。この視点から考えるなら、日の丸・君が代の強制に反対する運動も、今の日本のあり方を問題にし、目指すべき国のあり方を求める運動と結合した中でしかその達成はありえない。
 世界に冠たる経済力を持った日本がどこに行こうとしているのかを注視している世界の人々、とりわけアジアの人々に対し政府・文部省の主張とそれに反対する私たちの主張とを公開し、目指すべき国のあり方、目指すべき教育のあり方をともに考えて行く運動の構築が不可欠である。
 私たちは「教育改革」の現状と到達点、そしてその抱える問題や矛盾を社会的に明らかにしつつ、腰の重い矛盾した行動の多い文部省や教育委員会を追及してすみやかに「教育改革」を推進しなければならない。

  (すどう・けいすけ)


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